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2018/01/07

横浜発祥のカクテル「ミリオンダラー・カクテル」由来


今年10月開催の「横濱インターナショナル・カクテル・コンペティション」のクリエイティブ部門のツイストのお題は「ミリオンダラー」にする事に致しました。

このカクテルは横浜グランドホテルのバーテンダー、ドイツ系アメリカ人でサンフランシスコ出身のLouis Eppinger(ルイス・エッピンガー)氏が考案し、浜田昌吾氏が広めたカクテルとされています。

ルイス氏は、58歳であった1889年にサンフランシスコから横浜グランド・ホテルやって来て2年後には支配人として就任されます。

1890年にはニューヨークで流行していた「バンブー」を導入し、1890年代前半には「ミリオンダラー」を考案との噂。


ルイス氏は、16年の勤務となった1906年に支配人を退き、後任をたてます。
1908年(明治39年)6月14日に心臓病により77歳で他界され、横浜の外国人墓地に眠られます。

アメリカでは古くからシャンパンを使用したカクテルとしても知られるミリオンダラーですが、横浜のグランド・ホテルでは1894年にメニューに掲載されているともいわれます。

また1910年代前半にH.E.Manwaring(マンワリン)氏がバーマネージャー時代に上海で流行していたカクテルを横浜グランドホテルが取り入れたのではないかという説もあります。

カクテル名の由来は「ご結婚を祝うカクテル」、「当時サンフランシスコで有名であったホテルの名から取ったもの」、「縁起の良い名前」などとして知られます。

通常、オールド・トム・ジン、スイート・ベルモット、パイナップル・ジュース、グレナデン・シロップ、レモン・ジュース、卵白で作ります。

日本のジンの輸入は1861年からで、オールドトムはハンサー&キール商店が1862年輸入しています。
1870年(明治3年)に横浜外国人居留区に開業した株式會社カルノー商会(J. Curnow & Co.)が輸入していたこともしれます。
カルノー商会の商品輸入リストを拝見するとジンは、「Booth's Old Tom Gin」、「Booth's High & Dry Gin」とあります。

おそらくミリオンダラー 考案当時のジンには、「ブース・オールド・トム・ジン」が使用されていたのではと思います。



スイート・ベルモットは、卵白の臭みを消す為に後から加えられたという話もあります。

パイナップルは植民地時代のアメリカでは高価な果物で、テーブルに飾りゲストへの最上級のおもてなしを意味したそうです。

このカクテルにも''最高のもてなし"を込めて使われたという噂。

広めたと言われている浜田氏は、1922年(大正11年)に新規開業する「東京會舘」にグランド・ホテルからチーフ・バーテンダーとして派遣されました。
開業から間もない東京會舘の結婚披露宴で150名のお客様にミリオン・ダラーを提供し、"縁起の良い名前で美味しい!"と大好評を博し、それを聞きつけたお客様が引ききらず、暫くの間大いにバーを賑わせた記録があります。

自分が東京會舘に勤めていた頃の親方に聞いた話では、この当時のレシピは、クローバー・クラブにパイナップルの缶詰のシロップを加え、ひと工夫したものであったと言います。

1923年9月1日の関東大震災により東京會舘は閉館、同時に横浜グランドホテルも50年の歴史に幕をおろします。

浜田氏は東京會舘閉館後、銀座に転出し銀座4丁目の「カフェ・ライオン」のチーフ・バーテンダーに就任し、ここでのミリオン・ダラーの反響ぶりも伝えられております。

1924年11月15日には、前田米吉 様の著書「コクテール 」が出版されますが、ここにはミリオンダラーのレシピの掲載は無い。

1930年には「ザ・サボイ・カクテル・ブック」にレシピが紹介され世界的に広まりました。

シンガポールの「ラッフルズ・ホテル」のバー&ビリヤード・ルームでは、シンガポール・スリングの考案者であるニャム・トム・ブーン氏が1915年に考案したとも主張しております。

今後もまだまだミリオンダラーの情報は調べて10月のクリエイティブ部門に備えたいと思います。