明日2020年2月24日は、日本(横浜)にBARが誕生して160周年となります。
当日は横浜の元町クリフトサイドにて「横濱Bar'sデー160チャリティー・イベント」が開催されます!
日本のカクテル歴のターニングポイントとなった年は1974年です。
本日は1874年に横浜でカクテルバーを本格的に始めたパーヴィス(G.T.M. Purvis)氏の話です。
イギリス人の退役海軍大佐のパーヴィス氏は、1870年春に横浜港船舶管理のために横浜港湾長に任命され来日した人物です。
1868年に横浜外国人居留地に開業したインターナショナルは、1974年7月1日にホテルを経営していたカーティス氏からパーヴィス氏に譲り受けました。
パーヴィス氏が経営して約1ヶ月後には、2つ隣のグランド・ホテルとの激しい反目もあり、差をつける為にBARを充実させました。
パーヴィス氏は、ジェリー・トーマス氏のカクテル本を持っていたのか?カクテルに詳しかかったのか?自らファンシードリンク(カクテル)のサーブを始めます。
パーヴィス氏のカクテル・メイキングは、日本のカクテル史の始まりとしてチャールズ・ワーグマン氏の風刺画英字新聞ザ・ジャパン・パンチに取り上げられていました。
しかしカクテル・メイキングはパーヴィス氏にとって難しかったようです。
ジェリー・トーマス氏のシグネチャーである"ブルーブレーザー"の練習としてスローイングに挑戦し、上手くいかず、汗をかくパーヴィス氏が描かれています。
絵に描かれるボートには"Ice Extra"と書かれており、横浜では氷が充実してきた時代でしたが、氷は高価で別料金でサーブされた様子もわかります。
1974年9月、自身のカクテルサーブが上手くいかなかったからなのか?前オーナーのカーティス氏が既に準備をしていたのか?詳しい事は不明ですが、カクテルの本場アメリカからバーキーパー(バーテンダー)を招聘し迎える事になりました。
ジェリートーマス氏がいたとされるサンフランシスコからわりと近いヴァレーホから遂にカクテル作りのプロフェッショナルが横浜にやって来ます。
1874年9月4日には英字新聞にインターナショナルホテルの広告が出ていました。
カクテルがサーブされ始めたのは1974年9月5日のことでした。
次回⑪では、アメリカ・ヴァレーホから来日したバーテンダーの話です。