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2020/05/13

日本のバー誕生の地 横濱の話⑪ 1874年に招聘されたバーテンダー


 横浜にカクテルの本場アメリカンからバーキーパー(バーテンダー)が来日した日は、1874年9月3日。

1874年9月4日の英字新聞にインターナショナルホテルの広告が掲載されており、その事実が確認出来ました。


横浜で本格的にカクテルがサーブされ始めたのは1974年9月5日のことです。

詳しくはチャールズ・ワーグマン氏の風刺画英字新聞ザ・ジャパン・パンチにも記事として書かれておりました。


アメリカン・バーキーパーは、カリフォルニア州ソラノ郡サン・パブロ湾北部都市ヴァレーホからやって来ました。

ヴァレーホはサンフランシスコ・ベイエリアで、サンフランシスコは伝説のバーテンダーであるジェリー・トーマス氏がいたエリア。

ジェリー・トーマス氏は、1862年に世界初のカクテル本を出版したバーテンダー界の教授でフレア・バーテンディングの祖となる人物。

その流れを組むバーテンダーが2人やって来たと思われます。


1874年のザ・ジャパン・パンチには、ヴァレーホから来たジョー(Vallejo Joe)とジム(Vallejo Jim)の2人の名前が登場する。

一説によると1人が招聘されたともありますが、ザ・ジャパン・パンチの記事1ページにヴァレーホ・ジョー、ヴァレーホ・ジムという名前が登場しており、間違えたとは考えにくく、2人が招聘されたと推測してます。



また今でいうゲストシフトの様な説もありますが、かなりの時間と費用を費やし1、2日の仕事は考えにくく、バーテンダーとして採用していたのではと考えます。

1874年9月5日からパーヴィス氏が経営するインターナショナル・ホテルのバーでファンシー・ドリンク(カクテル)がサーブされました。

インターナショナル・ホテルでは、ジョーが働き、風刺画に「Presidentess Charlottes」、「Mint Julep」、「Cobbler」の3つのカクテル名が書かれていました。



9月6日からはジムがジャパン・ホテルのバーで働きはじめ、本格的に横浜でカクテルが楽しめる時代がやって来ました。

描かれた絵を見ると誇張した絵ではありますが、上級レベルのスローイングと、バーツールが宙に浮いたり足にストールしている様子が描かれていることからフレア・バーテンディングも間違いなく披露されたと思われ、日本最古のフレア・バーテンディングの記録ではないかと思われます。

スローイングの発祥地とされるバルセロナのボアダスが創業する遥か前の時代にバーテンダーがスローイングをカクテルのメイキング法として取り入れた事も大変興味深いです。

次回⑫は、カクテルを追い求め、再度遡った横浜の話しを書きたいと思います。