20歳のある時、醸造所での過労が原因で倒れます。そこから病をこじらせた神谷 氏は、医者に見放される程衰弱してしまいます。
そのことを知った雇い主のフランス人は神谷 氏を見舞い、持参した葡萄酒を飲ませます。
毎日飲み続けていると次第に元気になり、病から回復することができたそうです。
「滋養があり、効能のある酒をもっと普及させたい、しかし輸入品は高価でとても庶民には手が届かない。いつかきっと自分の手で誰もが口にできるような酒を作ってみたい!」と、思いが膨らんでいったという。
1875年、傳兵衛は東京麻布の天野という造り酒屋に奉公。
1880年4月、24才の時に独立を決意。
写真下が神谷傳兵衛 氏。
観音様への信仰が根強く、縁日の人手が多い浅草に目をつけていましたが、花川戸町四番地(現在の神谷バーの所在地)にて「みかはや銘酒店」をオープン。店名は故郷の地名にちなんだもの。そこでにごり酒の一杯売りを始めました。これが「神谷バー」の前身となりました。
神谷 氏は、日本で洋酒需要が高くなってきたタイミングで、ワインを一般に普及させようと考えます。
●1881年「蜂印香竄葡萄酒 」発売
当時ワインは、まだ日本人に馴染みないものでしたが、樽詰めワインを輸入し、ワインに漢方薬を浸漬し蜂蜜を加えた甘味果実酒を造り、1881(明治14)年に【蜂印葡萄酒 / はちじるしぶどうしゅ】として販売開始します。
1886年に「香竄(こうざん)」の商標登録を受け【蜂印香竄葡萄酒 / はちじるしこうざんぶどうしゅ】となる。
「蜂印」という名称は、かつて神谷 氏が「Beehive / 蜂の巣箱」というフランス産ブランデーを扱ったことにちなみます。
「香竄(こうざん)」は、父である兵助 氏の俳句の雅号であり、親のご恩を忘れないためにと、この言葉のなかに「隠しても隠し切れない、豊かなかぐわしい香り」という意味があることにちなみます。
浸漬しているボタニカルは、ラベルに描かれており、ローヤルゼリー、ドクダミ、カリン、ビワ、枇杷、銀杏、桂皮、丁子、カルダモン、コリアンダー、甘草、山椒、橙、ナツメグ、フェンネル、スターアニス、熊笹、高麗人参、蜂蜜、エゾウコギ、レイシ、クコの実、サンザシ、杜松の25種類。
この「蜂印香竄葡萄酒」は、親友で事業協力者でもある近藤 利兵衛 氏のマーケティング活動により、9年後には全国で人気商品となりました。
●1882年 みかはや銘酒店時代にボトルカクテル「速成ブランデー」発売
1882年(明治15年)に神谷 氏(27歳)は、輸入した酒類を原料にブレンドしたボトルカクテル「速成ブランデー」を造る。これが電氣ブランデーの原形となります。
速成ブランデーは、明治15年から流行していたコレラの予防に効果があると噂になり、人気となりました。
ベースに使われる輸入酒精の分析試験を念入りに行い、結果は、有害物を含まない廉価な薬用的飲みものとしての自言を強めることができた。この酒精そのものも販売しますが、需要が極めて少なかったことから、1883年には泡盛の販売を始める。
1898年、葡萄の苗を茨城県岡田村に6000本移植する。
同年、東京日本橋区銀河岸に神谷汽船合資会社を設置し運輸業をはじめる。
●1893年「電氣ブランデー」発売
電気の供給会社「東京電灯会社」が設立された明治16年から神谷 氏が速成ブランデーのレシピを少しづつ改良し、1893年に神谷酒造第二工場を東京本所区中ノ郷瓦町に設置し「電氣ブランデー(後のデンキブラン)」を発売させる。
レシピは、グレープ・スピリッツ(薬用として売られていた輸入ブランデー)、ワイン、ジン、ヴェルモット、キュラソーをブレンドしたボトル・カクテル。当時アルコールは45度であった。
ネーミングの由来は、文明開化の風潮の中で「氣」という言葉にはハイカラなイメージがあり、当時は目新しいものは「電氣〇〇」と呼ぶことが流行していました。
写真下左が発売当初の1893年の「電氣ブランデー」のボトル、右は「蜂印香竄葡萄酒」。
電氣ブランデーは「飲み口の良い、強いお酒なので身体の芯まで心地良くピリリとしびれるように酔いが回る」との評判となる。
1899年、日本酒精製造株式会社を設立する。同年に北海道旭川に酒造工場を設ける。
1901年に醸造場建築開始。「神谷葡萄園」にフランスボルドー地区の最新様式を取り入れた醸造場建築を始める。この年に、神谷葡萄園で栽培した葡萄で造る赤、白のワイン【牛久葡萄酒】第一号が誕生します。
1903年9月、牛久醸造場・牛久シャトー竣工。
11月1日に神谷酒造合資会社設立。
1911年、民間会社として国内で初めて99度以上の無水アルコールの製造に成功。
1912年4月10日(神谷 氏56歳)に、みかはや銘酒店の店舗内部を西洋風に大改造し、西洋風バー「神谷バー」へと改称。電氣ブランデーは、神谷バーの名物となる。
1919年、収集していた美術骨董品のコレクションを東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)に什宝668点を献納。
1922年4月24日に神谷 傳兵衛 氏は66歳逝去。
1957年に「デンキブラン」に名称変更
1957(昭和32)年に電氣ブランデーは、親しみを込めて「デンキブラン」へ改名。
同時にアルコール度数も45%から30%に変更される。
また神谷傳兵衛記念館の展示品の一つにボトル・カクテルと思われ「Mon bran / モンブラン」というものがあり、詳しくは解らなかったのですが、ネーミングからして神谷傳兵衛 氏が他界してからの商品でデンキブラン発売当初かその前にあったものではと推測しています。製造は、山梨県のワインメーカー太平醸造株式会社(旧中央発酵化学株式会社/日東工業株式会社)で造られています。太平醸造株式会社時代は1951年から1957年ですので、その間の商品であることは間違いないと思われます。
また電氣ブランデーを製造していた合同酒精株式会社では「bran d'or / ブラン・ドール」というブランデー・ベースのリキュールも製造していた様で、これもデンキブラン系だったのだろうか?気になる商品でした。
1983年に「電気ブラン・オールド」発売
1983年、電氣ブランデー発売当時のラベルデザインを踏襲し、アルコール分は45%ではなく40%にした復刻版の「電気ブラン・オールド」が発売。明治時代より受け継がれる秘伝のブレンドで造られているそうです。










