今日は、東京會舘で古くから継承されてきた「會舘ステア」のルーツについてのお話です。
會舘ステアとは、バースプーンの螺旋の真ん中を持ち、上下均等に美しく弧を描きながら回転させる東京會舘独自のステア・スタイルのことです。
1992年に私の師匠である内山浩氏から「會舘ステアは、東京會舘本舘の高頭のオヤジ(親方)が開発した」と聞いたことがありました。
高頭徳一 親方は、私が浜松町東京會舘Bar 39に勤務をはじめた1994年頃に引退された方で、退社後も日曜日に時々Bar 39にお越しくださり、Bar 39の当時のチーフバーテンダーであった大石清己 氏と将棋をされていたことを覚えております。私も一度だけ僭越ながら大石 氏の代理で高頭 親方の将棋にお付き合いさせていただいたことがありました。
写真下は、東京會舘本舘メインバーのチーフバーテンダー時代の高頭 親方です。
先日、永田町の国立国会図書館で調べものをしていたところ、過去の『中央公論』の記事に「會舘出身のバーマンに共通している独特なステアのスタイルは、高頭が始めたもののようだ。」との記述を発見しました。
それまで私は、個人的に“ミスター・マティーニ”と呼ばれた東京會舘の大先輩・今井清氏から始まったのではないのか?あるいは今井氏の大先輩にあたる玉田芳太郎氏、浜田昌吾氏、浅倉進次郎氏、本多春吉氏、秋田清六氏、田村清吉氏といった往年の名バーテンダーのスタイル?もしくは「横浜グランドホテル」がルーツなのではないかとも考えていました。
しかし今回、貴重な証言を得ることができました。1952年に東京會舘に入社し、9年ほど勤務された吉田貢氏。
その吉田 氏や毛利隆雄 氏に師事して「Y&M BAR KISLING」に在籍していた鈴木俊矢 氏(現在は上海のSUZU BAR)から伺ったお話です。
會舘ステアの由来を調べておられた吉田 氏の生前の言葉によると、ご自身が在籍されていた1961年までは「會舘ステア」という呼び名はなかったのではないか、とのことでした。「いつの間にかそう呼ばれるようになっていた」という。
また、吉田 氏が先輩であった今井清 氏に直接尋ねた際も、今井氏が在籍していた1961年まではその名称はなかったと話していたそうです。
この証言から、それ以前に活躍されていた本多春吉氏らのステアも、当時はまだ「會舘ステア」と呼ばれていなかったことになります。
写真下は、ステアの技法でマティーニを作る吉田貢 氏です。持ち手はい會舘ステアと同じく小指を出すスタイルですが、バースプーンを摘んでいる位置が高いところにあり、上下したりする撹拌ですが、60年代からの會舘ステアと少し違うものでした。初期型會舘ステアという感じでしょうか。
私は一度、今井清 氏がマティーニを作成する様子を拝見したことがありましたが、吉田 氏と同じくスプーンを底から浮かせていたスタイルで、現在の會舘ステアも底から浮かせてはおりますが数ミリなので、少し違うかな?と思った記憶があります。
今一度、動画があれば、再度確認したいところです。
會舘ステアが1960年代に登場したのだとすれば、その時代の在籍者から始まったと考えるのが自然かもしれません。
となると、昭和36年(1961年)に東京會舘の本館チーフバーテンダーに就任された高頭徳一親方である可能性が現実味を帯びてきます。
私の師である内山浩 氏は、東京會舘本舘メインバーに1968年まで在籍されていました。そして内山 氏の直属の部下として1966年に入社された上田和男 氏もまた、會舘ステアは高頭親方が考案して広めたものという認識を持たれています。
上田 氏の入社後となる60年代後半には、東京會舘(交通會舘銀座スカイラウンジ)でアルバイトをはじめる毛利隆雄 氏もこの頃に會舘ステアを習得されており、以前東京から八戸間の新幹線でご一緒にさせていただき、3時間程お話しさせていただいた中で、會舘ステアは「高頭の親父に教わった」と話されておりました。
写真下は、我が師の内山 浩 氏。
写真上は、1994年浜松町東京會舘 Bar 39時代の北條智之。
「會舘ステア」は本当に高頭徳一 親方から始まった名技法なのかもしれません。このスタイルを体系化し広めた人物であることは間違いないと思われます。




