本日は伝説のバーテンダー、ミスター・マティーニこと今井 清(いまい きよし)氏のお話し。
1923年4月28日、石川県羽咋市生まれ。
1939年に帝国ホテルが委託経営する東京會舘の酒場係として入社。1927年より東京會舘のチーフバーテンダーを務めていた本多春吉 氏に師事する。
まず言葉の訓練から始まり、返答に田舎弁が混ざると何度も聞き返され、正確な言葉になるまで繰り返されたそうです。
今井 氏は、その時のことを「入社当初から言葉のハンデに苦しめられた。これも東京會舘という日本を代表する社交場に働く者として不可欠のことであったが、私にとって毎日が針のむしろであった」とインタビューで語られている。
帝国ホテル、東宝株式会社に勤務も隔て、1945年12月に東京會舘にもどる。
東京會館は、GHQに接収され、名称をアメリカン・クラブに変更する。會舘の近くにはGHQ総司令部が設置された第一生命ビルがあり、そこに勤務するアメリカ軍将校達相手に新たなバーテンダー修行が始まったといいます。
当時のアメリカン・クラブには、1階にメイン・バーとラウンジ・バー、3階にメイン・ダイニング、4階にはボール・ルームがあり毎晩ディナーとダンスが開かれていました。
バーテンダーは当時のチーフ・バーテンダーである本多春吉 氏以外には、今井清 氏、12月から見習いとして入社となった山崎 達郎 氏のみで、他は急遽集められたスタッフのみであったそうです。
心細かったスタッフもその後、浜田昌吾 氏、浅倉進次郎 氏、秋田清六 氏、田村清吉 氏といったメンバーが集まり、日本のバーテンダー史に名を刻んだ人物達と一緒に働く。
ミスター・マティーニと呼ばれる様になったのは、いつからなのか?
今井 氏のマティーニ伝説は、東京會舘時代からのようです。
東京會舘のお客様であった保険会社社長が、ロンドンから、当時の東京會舘の社長宛に届いた手紙には「アメリカにも行き、ヨーロッパを巡るが、いまだ今井君に勝るドライマティーニに出会っていない。ということは今井君のマティーニは世界一ではなかろうか」と書かれていたという。
1961年からは、パレスホテル東京に移り、ロイヤルバーの初代チーフバーテンダーとなる。
パレスに移られてからの今井 氏のマティーニのレシピは、ゴードン・ジン55ml、ドライ・ヴェルモット15ml、オレンジ・ビターズ1dashをステアしてカクテルグラスに注ぎ、レモンピール、オリーブを飾るというもの。
1963年の調理師法施行10周年記念カクテル・コンクールにて「ライジング・サン」で厚生大臣賞を受賞。
レシピは、テキーラ30ml、シャルトリューズ・ジョーヌ20ml、コーディアル・ライム10mlをシェークして、ソルト・リムしたカクテル・グラスに注ぎ、スロージンを1tspドロップし、レッドチェリーを沈める。
1971年には、東京で開催された第12回IBAインターナショナル・カクテル・コンペティションにて「Hermes / ヘルメス」で準優勝。
レシピはテキーラ30ml、クレームドウメ20ml、ライムジュース10ml、アニゼット 1tspをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。
1984年にバーテンダーを引退。
1999年1月28日に他界となります。

















































