1894年に横浜グランドホテルのLouis Eppinger氏により考案されたとされてきたカクテル「ミリオンダラー 」ですが、横浜生まれではない可能性が出てきました。
1913年に当時の横浜グランドホテルの支配人であるH.E.Manwaring(マンワリン)氏が、上海から持ち帰り横浜グランドホテルのバーのメニューに導入したカクテルであった様です。
マンワリン氏は、1905年にアメリカからルイス エッピンガー氏の後任の支配人として招聘された人物です。
マンワリン氏 が当時上海で流行していたカクテル「ミリオンダラー」 をAstor House Hotel(アスターハウス ホテル)で飲んだといいます。
アスターハウス ホテルは、1846年にリチャーズ・ホテル・アンド・レストランとして開業し、1858年には上海市の外灘方面に移転し、アスターハウス ホテルとして名称を変更。
2018年1月1日に閉館となり、現在は博物館となっております。
アスターハウス ホテルは、1900年頃には世界で最も有名なホテルのひとつにピックアップされており、東洋一のホテルと称されていました。
1913年に上海から帰国したマンワリン氏は、アスターハウス ホテルで飲んで気に入ったミリオンダラー を直ぐに横浜グランドホテルのバーのドリンクリストにミリオンダラー を追加し、提供しはじめたといいます。
レシピに使用するパイナップルジュースは、当時入手困難でハワイから取り寄せていた透明なものを使っていたそうで、無い時はピンクレディに似たカクテルで提供していたり、パイナップルジュース缶のシロップを使用したりしていたとも聞きます。
ミリオンダラーを日本に広めた功績者は、横浜出身の伝説のバーテンダー浜田晶吾 氏です。
1912年にグランドホテルに入社し、支配人のマンワリン氏が1913年にミリオンダラー を導入したこともご存じだったようです。
古いカクテル本には、ミリオンダラー のレシピが4種類掲載されており、その一つにシャンパンを使用したものがあるといいます。
浜田氏は、1922年(大正11年)に新規開業する「東京會舘」に横浜グランド・ホテルからチーフ・バーテンダーとして派遣されました。
開業から間もない東京會舘の結婚披露宴で150名のお客様にミリオンダラーを提供し、"縁起の良い名前で美味しい!"と大好評を博し、それを聞きつけたお客様が引ききらず、暫くの間おおいにバーを賑わせた記録があります。
東京會舘に浜田 氏が残されたレシピは、オールドトムジン、パイナップルジュース、レモンジュース、グレナデンシロップ、シュガーシロップ、卵白をシェークしてクープグラスに注ぎ、パイナップルウェッジ(缶詰のパイナップル)を飾ったもので、ヴェルモットロッソは使わないレシピです。
1923年9月1日の関東大震災により東京會舘は閉館、同時に横浜グランドホテルも歴史に幕をおろします。
浜田 氏は、翌年の1924年にホテル精養軒が経営する銀座 尾張町 交差点の角「カフェライオン」のチーフ・バーテンダーとして迎え入れられ、ここでミリオンダラーの知名度を更に広げたといいます。
日本に定着したレシピは、導入された初期のものから、浜田 氏によりアレンジされたものが広がったとも考えられます。
エッピンガー氏は、1905年に横浜グランドホテルの支配人から退き、マネージング・ディレクターとして勤務し、1908年6月14日に77歳で他界します。
そうするとエッピンガー氏が、横浜グランドホテル在籍中どこるかご存命の時にミリオンダラーは提供されていなかったことになります。
残念ながらミリオンダラー もバンブーもエッピンガー氏が考案した者ではなさそうです。
ミリオンダラー は、中国・上海発祥なのかも知れません。