2025/10/16

1953年 第5回オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール1位のカクテル「キッス・オブ・ファイヤー」

 1953年6月、名古屋・御園座で開催されたJBA第5回オールジャパン・ドリンクス・コンクール コクテール部門1位の作品。6000程の応募作品から最終審査8作品が選ばれ優勝となったカクテルです。

作者は東京・銀座のバーテンダー石岡賢司 氏です。

カクテル名は、1952年に米国でLoius Armstrongの「Kiss Of  Fire」がヒットし、同年に日本でもカバー曲「火の接吻(Kiss Of Fire)」がヒット。

カクテル名の由来は名曲 Kiss Of Fireからとのこと。



レシピは、ウォッカ1/3、スロージン1/3、ドライ・ヴェルモット1/3、レモン・ジュース2ダッシュ。

シュガーリム(スノースタイル)したカクテルグラスに注ぐというもの。

本家の「キッス・オブ・ファイヤー」カクテルは、石岡賢司 氏のお孫様の宇山祐二 (ジョニー)氏が経営する東京・学芸大学駅の近くにあるカフェ&バー「tricky's(トリッキーズ)」で楽しむことができます。

ジョニー氏は、今から24年程前に桜木町のT GIフライデーズで働かれており、その頃に私の以前の職場である横浜駅東口のカクテルバー・マルソウにご来店いただいた事がありました。

そのご縁もありtricky'sにお伺いさせていただきました。

キッス・オブ・ファイヤーの考案者のお孫様のジョニー氏に作っていただいた一杯は感慨深く、感激でした。





キッス・オブ・ファイヤーは、 Cocktail Bar Nemanjaのメニューにもございます!

是非お試しくださいませ!

2025/10/13

横濱インターナショナル・カクテル・コンペティション2025結果発表

 2025年10月13日(月・祝日)、ワークピア横浜にてバーテンダーの国際大会【横濱インターナショナル・カクテル・コンペティション】が開催されました。

クラシック、フレア、クリエイティブ部門の3部門で行われ、書類選考を通過した日本、台湾、中国、グアム総勢65名の選手が出場しました。













今回フレア部門とクリエイティブ部門の審査員としてお手伝いさせていただきました。

入賞結果は以下となりました。


●クラシック部門

グランプリ 岩瀬 美加 選手 作品名「翠雨」

金賞 無量小路 美裕  選手 作品名「Blue Reverie」

銀賞 山野井 訓子 選手 作品名「花緑青」

銅賞 長濵友太郎 選手 作品名「Tropic Line」

銅賞 足立孔汰   選手 作品名「Marina Whisper」

銅賞 山野井 皇 選手 作品名「Arcana」

台北バーテンダー協会賞 清水 梨沙 選手

ベストテクニカル賞 長濱友太郎 選手

ベストテイスト賞 無量小路 美裕 選手




●フレア部門

グランプリ 飯嶋裕太(ジーマ) 選手

第2位 高橋優太(コビト) 選手




●クリエイティブ部門

グランプリ 中島ショーゴ 選手

 第2位 安孫子優 選手




フレア部門の総評を述べさせいただいております。

↓ 後日公式ホームページでも掲載となります。

https://yokohama-cocktail.com/

出場された選手の皆様、審査員の皆様、横濱インターナショナルカクテルコンペティション実行委員会の皆様、お疲れ様でした!

またご来場いただいた皆様、協賛メーカーの各社様、有難うございました!

来年もバーテンダーの国際交流の場として開催予定とのことですので、皆様引き続き応援・ご協力をどうぞ宜しくお願い致します。

本当に有難うございました!

2025/10/11

1951年 第3回オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール1位のカクテル「スイート・オーサカ」

日本生まれのカクテルで大阪の名が使われるカクテルがあることはご存知でしょうか?
1951年に誕生したカクテル 【スイート・オーサカ】です。









このカクテルは、1951年に開催されたJBA主催 第3回オールジャパン・ドリンクス・コンクール コクテール部門1位の作品。

前年に「青い珊瑚礁」を生み出したオール・ジャパン・ドリンクス・コンクールの第3回の優勝作品として当時とても話題となったカクテルです。

レシピ

バカルディ・ホワイトラム 15ml
グランマニエ 15ml
ドライ・ヴェルモット 15ml
グレナデン・シロップ 5滴
レモン・ジュース 5滴

シェークしてカクテル・グラスに注いだものです。

コクテール部門 2位の作品は「ムーン・イン・ナイト」。レシピは今でいう「X.Y.Z」です。この時代のX.Y.Zは、まだジンベースのブロンクスをアレンジしたあのスタイルだったのかな?とも想像します。

この年にノンアルコールのソフト・ドリンク部門も行われており、1位の作品は「ドナウ河のサザナミ」でした。

スイート・オーサカ是非お試しくださいませ!

2025/10/10

1950年 第2回オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール1位のカクテル「青い珊瑚礁」

 Blue Coral Reef

Cocktail Bar Nemanjaのメニューからおすすめカクテル【青い珊瑚礁】紹介。

このカクテルは1950年5月3日に開催された、日本バーテンダー協会(JBA)主催All Japan Drinks Concool 1位の作品。

創作者は名古屋のバーテンダー鹿野彦司 氏。

カクテル名の由来は、1949年に公開されたイギリス映画「青い珊瑚礁The Blue Lagoon」の広告ポスターの美しさから着想を得て創作されました。

当時はブルーキュラソーが入手困難だったためグリーンミント・リキュールを使って創られました。

敗戦後の1947年7月1日、日本政府はGHQ(連合国軍総司令部)の指示で「飲食営業緊急措置令」を発令し、GHQの施設や外食券食堂等の一部例外を除いた国内飲食店の営業や自由な酒類販売を禁じました。

1949年5月7日に酒類自由販売解禁に伴い、日本政府が発令した飲食営業緊急措置令が廃止され飲食店が再開されます。

第1回All Japan Drinks Concoolは、物資が整わない時代だったこともありノンアルコールで開催されている。

酒場営業解禁明けを記念する歴史的なカクテル大会の優勝作品がこの「青い珊瑚礁」です。

当時酒類を使える注目の大会であったこともあり、会場のスポーツセンターには、5000人を超える観客が集まったそうです。




レシピは、ドライ・ジン2:グリーンミント・リキュール1をシェークして、グラスの縁をレモンで濡らしたカクテル・グラスに注ぎ、桜桃をかざるというもの。

大会当日は、デコレーションにサクランボを飾られたようで5月上旬に早めのサクランボを入手するのも大変だったかもしれないなと想像します。

最近では海外のゲストや若いお客様に昭和レトロ・カクテルが響いている様で、青い珊瑚礁復活しつつあります。

2025/10/09

2025年マグロ釣りの挑戦

 今週はマグロ釣りに挑戦。

今年はここ一週間の釣果が良いのでチャレンジしました。

庄三郎丸さんのカツオ・マグロ船 朝6時出船,

釣り場は相模湾,

棚は30m。時折40mから50mも。

今回も貸し竿で挑戦。

餌釣り、仕掛けはハリス26号6m。活性が良い時は4.5mに変更も。ハリの餌はオキアミ。

庄三郎丸でもマクロの仕掛けを買わせていただきましたが、ハリス26号8mでした。

釣果を出されているマグロ釣りのプロ級の先生達はハリス26号10mを使用しているとか。

10mと長ければ長いほどマグロが警戒心持たずにオキアミを食べるとかなのですが、コマセと餌を同調させて食わせる難しさがあるようでした。


船長の指示棚から下5mlまで天秤を落とし、仕掛けを落ち着かせるために少し待ってからしゃくってコマセ撒き、1メートル巻くを3回やってから指示棚まで天秤をあわせてアタリを待つ釣り。

コマセが残ってそうなら、また5m落として2回くらいコマセが撒ける状態。

今回棚まで合わせた後に,1m竿先を下げて、そこから2mゆっくり上げて棚の高さに戻し、餌がゆっくり落ちて行くような誘いをやってみました。

この誘いにマグロ棚でアタリがわりと出たのですが、かかるのはカツオ。

大きなカツオだと60センチサイズも釣れました。

仕掛け回収中にはシイラの釣果も...







前半にカツオ5匹、後半カツオ4匹で、合計釣果はカツオ9匹とシイラ1匹でした。

前回かけたようなモワモワしたマグロのアタリは無かったですかね。

この日は船中のマグロの釣果は3匹・キメジは2匹上がっていた様子で大きなマグロは40キロほどのものが釣れましたが、コマセ撒いてしばらくおき竿していたご老人の竿が曲りヒットしていました。

道糸が250mくらい引っ張られていました。

運良くかかることもあるでしょうか。

今回も勉強になったマグロ釣りでした。

いつかマグロに選ばれる人になり、50代の体力があるうちに釣り上げたいと思います。

2025/10/01

日本生まれのカクテル 年表

● 1850年代 【Yanagikage(柳陰 / 本直し)】 

粕取り焼酎と本みりんを半々で割り井戸で冷やし夏に飲まれていたもの。京都では「柳陰」、江戸では「本直し」と呼んだ。

●1862年 【Arakichinda(アラキチンダ)】 

神奈川 作者不明。横浜開港見聞誌(1862年)に登場するアラキチンダ。時代背景からアラキはジュネヴァ、チンダはポートワインを指していると推測し、当時のマルチネスやマンハッタンのレシピは蒸溜酒の分量が少ないことからCocktail Bar Nemanjaではポートワイン2に対してジュネヴァ1をステアしてカクテルグラスに注いだものを提供している。



●1882年 【速成ブランデー】

明治15年にみかはや銘酒店の神谷傳兵衛 氏が、輸入した酒類を原料にブレンドしたボトルカクテル「速成ブランデー」を造る。当時流行していたコレラの予防に効果があると噂になり、人気となったと言われています。速成ブランデーは、神谷 氏が27歳の時に考案し電気ブランの原形となるカクテルとなります。

●1893年 【Denki Bran(電気ブラン)】

電気の供給会社「東京電灯会社」が設立された明治16年から神谷傳兵衛 氏が速成ブランデーのレシピを少しづつ改良し、1893年に「電気ブラン」を発売させる。レシピは、グレープ・スピリッツ(薬用として売られていた輸入ブランデー)、ワイン、ジン、ヴェルモット、キュラソーをブレンドしたボトルカクテル。当日アルコールは45度であった。



●1920年代前半 【Line Cocktail(ライン・コクテール)】 

東京 四谷カフェー・ラインの前田米吉 氏 作と推測。


●1922 ~1923年頃 【Mt.Fuji(マウント・フジ)】

創作時期は1922から1923年頃のようで、1924年には提供されていたことは間違いなさそうです。このカクテルは、帝国ホテルのチーフ・バーテンダーの大阪登章氏が考案。帝国ホテルの支配人である山口正造 氏作説もある。



●1923年 【チェリー・ブロッサム】

1923年に創業した横浜のバー「パリ」の田尾多三郎 氏が考案したカクテル。カナディアン・クラブのキャンペーンのために創作したのがはじまり。カナディアンウイスキー、チェリーブランデー、ヴェルモットロッソ、マラスキーノなどで作られる。


●1931年 【Sunday Cocktail(サンデー・コクテール)】

1931年に開催された寿屋カクテル・コンテストの入選作品。作者は浜田晶吾 氏。




●1946年 【Kaikan Gin Fizz(會舘ジン・フィズ)】

東京會舘のチーフバーテンダー本多春吉 氏考案。1945年8月15日終戦。その年の12月に連合国軍最高司令官総司令部/GHQ の高級将校クラブとして接収された東京會舘は "American Club of Tokyo" と呼ばれ受託営業が始まりますが、12月は開設準備期間で休館しており、翌年1946年に「株式会社 東京會舘」と商号を変更し再出発。この年に會舘ジンフィズが誕生する。将校クラブとしては1952年まで重用され、その期間に東京會舘で最も飲まれていたカクテルでした。



●1949年 【Shibuya  Town(渋谷タウン)】

渋谷バー門の創業当時からのオリジナルで、初代オーナーの深澤憲二 氏作。




●1949年 【Tennessee Waltz(テネシー・ワルツ)】

昭和24年の雑誌「酒と音楽」でJBAの副会長であった長谷川幸保氏が発表したカクテル。


●1949年 【チューハイ】

1949年5月7日に酒類自由販売解禁に伴い、日本政府が発令した飲食営業緊急措置令が廃止され、ビアホールや酒場が再開。東京都墨田区・葛飾区を中心と する下町の大来酒場の店主らに より「焼酎ハイボール」が提供され「チューハイ」と呼ばれる。


●1949年 【Hois Highball(ホイス・ハイボール)】

ホイスは1949年の飲食営業緊急措置令廃止後に、後藤商店が芝公園時代に開発した下町カクテル。焼酎3:ホイスの素2:炭酸水5の割合で作る。ホイスの名前の由来は、当時は高級品であったウイスキーをもじりホイスキーからきており、それを略して「ホイス」と命名したもの。




●1950年 【青い珊瑚礁】

1950年5月3日に開催された、JBA主催 第2回All Japan Drinks Concool コクテール部門1位の作品。鹿野彦司 氏作。この年のソフト・ドリンクス部門1位の作品は「ペアー・フラワー」で創作者は池田光明 氏でした。



●1951年 【スイート・オーサカ】

1951年に開催されたJBA主催 第3回All Japan Drinks Concool コクテール部門1位の作品。レシピはバカルディ・ホワイトラム 15ml、グランマニエ 15ml、ドライ・ヴェルモット 15ml、グレナデン・シロップ 5ダッシュ、レモン・ジュース 5ダッシュをシェークしてカクテル・グラスに注いだもの。この年のソフト・ドリンクス部門1位の作品は「ドナウ河のサザナミ」でした。




●1951年 【Koujo No Tsuki( 荒城の月 )】

1951年 5月21日に東京の日本劇場で開催されたJBA.全日本コクテールコンクール 第1位の作品。ジン1/3、デリカワイン白1/3、レモンジュース1tsp、卵白1/2個分をシェークし、カクテル・グラスに注ぎ、鶉の卵黄1個分とグリーン・ミントリキュールを3ダッシュをドロップしたショート・カクテル。


● 1952年 【Ganso Shitamachi Highball(元祖下町ハイボール)】

1952年に天羽飲料製造が焼酎に割るための甘味が無いリキッド「天羽の梅Aハイボール赤ラベル」の発売により下町カクテルの「元祖下町ハイボール」通称「(元祖ハイ)」が誕生し広く下町酒場で飲まれる。推奨の割合は、甲類焼酎2:天羽の梅Aハイボール赤ラベル1:炭酸水3の割合である。現在でははレモンスライスなど入れて楽しまれる。



●1953年 【Satsuki no Kaze(五月の風)】

1953年に銀座「馬車屋(後の鴻之巣)」の長谷川幸保氏が考案した抹茶入りのジンフィズ。


●1953年 【Kiss of Fire (キッス・オブ・ファイヤー)】

1953年6月26日に名古屋の御園座で開催されたJBA主催の第5回 ジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品。作者は東京のバーテンダー 石岡賢二 氏。ソフト・ドリンク部門1位の作品は「ピンク・フラワー」でした。




●1954年 【フラワー・サントリー】

JBA主催の第6回 ジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品。


●1956年 【Gin Lime(ジン・ライム)】

1956年に銀座でバーテンダーをしていた馬田浩二 氏作。




●1956年 【Sasameyuki(細雪)】

寿屋第1回ホーム・カクテル・コンクールでグランプリに輝いた作品。作者は森川佳典 氏。


●1957年 【オーシャン・スペシャル】

1957年に開催されたJBA主催 All Japan Drinks Concool 男子ショートドリンクス部門1位の作品。この年の男子ロングドリンクス部門1位の作品は「天然の美」。婦人部ロング並びにショートドリンクス部門1位の作品は「ステンガラージン」でした。


●1958年 【Yukiguni(雪国)】

山形県酒田市の喫茶バー・ケルンの井山計一 氏作。1958年寿屋第3回ホーム・カクテル・コンクールのグランプリ作品。



●1960年代 【レモン・サワー】

1958年創業の中目黒の「もつ焼き ばん」の創業者であるが小杉正 氏が考案したもの。1958年は東京タワーが建設されるなど高度経済成長期となり、生のレモンが入手しやすくなったことで、60年代に入りお店のタンチュー(チューハイ)に生のレモンを絞って入れたレモン・サワーを名物ドリンクとして発案。




●1964年 【マイ東京】

1964年に東京五輪を記念してサントリーが主催したカクテルコンクールの特選受賞作品。創作者は上田芳明氏。このサントリーカクテルコンクールは、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州の7ブロックに分けて、それぞれのブロック大会をおこない、翌1965年1月22日に全国決勝が開催されました。ベースは角瓶、オレンジキュラソー、トリスライムジュースを加えシェーク。グラスの縁をシュガーリム(スノースタイル)にしたもの。


●1966年 【ブルドッグ】

1966年冬に鎌倉のMike's Barの榊原直哉(通称マイク)氏がウォッカのグレープフルーツ割りに「ブルドッグ」と名付けた。



●1967年 【スカイダイビング】

1967年に開かれたANBA 主催のカクテル・コンペティションの優勝作品。作者は大阪の渡辺義之氏。

.●1970年 【サン・エキスポ】

大阪万博で開催された日本バーテンダー協会(JBA)主催による「EXPO’70 世界コクテールコンクール」のロング・ドリンクス部門グランプリ、です。コンクールの応募は、国内約9000件、海外20数カ国から10000件余りの応募があり本選には30人にが選ばれました。グランプリは神戸「 SAVOY 」の小林省三  氏。ショート・ドリンク部門銀賞は「エキスポ・カーニバル」、ロング・ドリンクス部門銀賞は「エキスポ70」が選ばれました。


●1973年 【カフェ・ド・トーキョー】

1973年ANBAカクテルコンペティション優勝。第13回ICC国際大会第3位の作品。作者は吉田貢 氏。


●1980年 【ピュア・ラブ】

1980年に開かれたANBA カクテル コンペティションの優勝作品。作者は上田和男 氏。

2025/09/28

戦後の下町カクテル「ホイス・ハイボール」のお話し

 本日は下町カクテル「ホイス・ハイボール」と呼ばれる通称「ホイス」のお話し。

焼酎ハイボールの素ホイスが誕生したのは1949年で、後藤商店の創業者である後藤武夫氏が開発したもの。

後藤商店の創業は1932年。

東京・飯倉で洋酒を扱う酒販店としてはじまり、1945年に芝公園に移転し清涼飲料水の製造が開始する。

1984年に白金に移転

後藤商店の清涼飲料開発商品の第一号は「梅乃甘精」で、実はホイスではなく、まだ戦争の傷跡残る1948年に後藤武夫 氏が開発している。

味の悪い焼酎を飲みやすくさせることを目的とした梅風味のリキッドです。

1949年5月7日に酒類自由販売解禁に伴い飲食営業緊急措置令廃止と共にホイスは、芝公園時代の後藤商店にて開発され販売開始となりました。

名前の由来は、当時は高級品であったウイスキーをもじり「ホイスキー」からきており、それを略して「ホイス」と命名。


ホイスの素は、アルコール度数は0.2%で、分類上はノンアルコールでの清涼飲料水。

【ホイス・ハイボール(ホイス)】のレシピ

メーカー推奨の黄金比

焼酎  3(60ml)

ホイスの素 2(40ml)

炭酸水 5(100ml)

氷を入れたコリンズに材料を注ぎビルド。

現在、期間限定で後藤商店のガレージでホイス・ハイボールや梅乃甘精が楽しめる酒場「5+5(じゅう)」が営業しています。





ホイス製造所の真下でホイス・ハイボールと梅乃甘精が楽しめるなんて夢のようだ!と思い早速行ってまいりました。

ガレージのシャッターのホイスのロゴがカッコよかったです^ ^

5+5は、あと2年程営業する予定のようです。

興味ある方は是非行かれてみてください!



2025/09/22

ローズヨコハマのイエロー・レディー

 今週はネマニャの小庭で育てている薔薇「ローズヨコハマ」が咲きました。

おすすめカクテルは【ローズヨコハマのイエロー・レディー】です。




レシピはLONG GOOD ジン・ナチュール スリー、白浜クラシック・トリプルセック・フォルテッシモ、オレンジジュースです。ローズウォーターで香り付けをしてローズヨコハマを浮かべます。

是非お試しくださいませ!

2025/09/17

マスカサーティーのブロンクス・テラス

 長野県産の美味しい葡萄【マスカサーティーン】が入荷しております。

ロザリオロッソとシャインマスカットの交配品質で、強いマスカット香と皮の旨み、爽やかな味わいで糖度は20度程。サクサクとした食感で食べ応えのある葡萄です。




おすすめカクテルは【マスカサーティーのブロンクス・テラス】です。

ヤマレスト・ジン、スローウェーヴ、マスカサーティーン、ライムジュースで作ります。

ヤマレスト・ジンの山椒感とマスカット香がとても相性の良い組み合わせです。

是非お試しくださいませ!

2025/09/15

ヌーベルローズのフレンチ・マンハッタン

 長野県産の葡萄「ヌーベルローズ」が入荷しております。

ヌーベルローズは、シャインマスカットとロザリオロッソを交配させて生まれた赤系シャインマスカットです。




おすすめカクテルは【ヌーベルローズのフレンチ・マンハッタン】です。

コニャック、フェルディナンズ・レッドヴェルモット、ヌーベルローズ、グランマニエ、オレンジ・ビターズです。

是非お試しくださいませ!


2025/09/10

恵水のネバダ

 茨城県産の和梨「恵水」が入荷しております!

茨城県オリジナル品種の梨で酸味が少なく深い甘みが感じられ、香り高く瑞々しい梨です。





おすすめカクテルは【恵水のネバダ】です。

ホワイト・ラム、恵水、グレープフルーツ・ジュース、ライム・ジュース、アンゴスチュラ・ビターズで作ります。

是非お試しくださいませ!

2025/09/07

横浜生まれのカクテル「プリンセス・ダイアナ」の考案者

 カクテル【Princess Diana】の調査完了。

2025年9月7日(日)は、以前から探していたPrincess Dianaの考案者に辿り着きました。




やはり横浜生まれのカクテルでした。

このカクテルの発祥地は石川町にあるソウルバーの名店「Soul Bar Motown 」。

オーナーの芦田守史さんが考案したものです。

1994年に開店した横浜駅西口の「Bar soul on」のオリジナル・カクテルとして提供されていますが、バー・ソウルオンは、以前Soul Bar Motownの3号店であったからとのこと。

芦田さんは、独立される前は関内のバーで働かれていたとのこと。なんだか勝手に親近感が湧きました^ ^

30年前から作られていらっしゃるというコーヒーのインフュージョン・ウォッカをいただいてみました。ドトールのエスプレッソコーヒー豆を使用しているというドライなブラックルシアンを思わす一杯。このようなお酒は90年代半ばでは珍しかっただろうと想像します。




私が「プリンセス・ダイアナ」に出会ったのは90年代後半のこと。

この時代に野毛や横浜中華街、横浜駅周辺でも提供しているバーが既に多数ありました。

現在は様々な横浜のバー、居酒屋のメニューでも見かけるほどのカクテルとなっています。

推測ではウェールズ公妃ダイアナが1997年8月31日に死去した頃に考案したのではと考えておりました。

芦田さんにお聞きしたところ、プリンセス・ダイアナは、1988年5月にSoul Bar Motownがオープンして間もなくに創作し提供をはじめたとのことでした。

今から37年前のカクテルだったのですね!

88年ですと日本のサントリーがスプモーニを開発した頃でしょうか?

プースカフェ的なスタイルでの提供は、どこかのダイニングバーなどがアレンジしたものと考えられます。

芦田さんに正式なレシピを教えていただきました。

Princess Diana(プリンセス・ダイアナ)

クレーム・ド・カシス 30ml

フレッシュ・グレープフルーツジュース 45ml

トニックウォーター 適量

氷を入れた細長めの10オンスコリンズ・グラスに注ぎ、軽くかき混ぜる。

グレープフルーツジュースとトニックウォーターは半々な感じとのこと。

写真下が発祥地のプリンセス・ダイアナです!



シンプルなレシピで、ほとんどのバーにある材料で皆んなが作れる技法で美味しいカクテル。

このようなカクテルを生み出すことが私の夢でもあるので、素敵な一杯だな〜と感動しておりました。

芦田さん、色々教えていただきありがとうございました。