山梨県産の「黒いシャインマスカット富士の輝」が入荷しております!
志村葡萄研究所で開発された希少品種で、「シャインマスカット」と「ウインク」を交配して生まれた高級ぶどうです。
糖度は18〜25度。種無しで皮ごと食べれます。
おすすめのカクテルは「富士の輝のミッキーファン・フィズ」です。
オオトリ・ジン、黒いシャインマスカット富士の輝、グレープフルーツ・ジュース、レモン・ジュース、ソーダ・ウォーターで作ります。
是非お試しくださいませ!
【一般社団法人 全日本フレア・バーテンダーズ協会(ANFA)名誉会長】 【アジア・バーテンダーズ協会(ABA)相談役】 【フェルディナンズ・ジャパン・ブランド・アンバサダー】 【特許取得 日本初のノンアルコールジンNEMA0.00%創業者・開発者】 カクテルバー・ネマニャ・北條智之のブログです。
山梨県産の「黒いシャインマスカット富士の輝」が入荷しております!
志村葡萄研究所で開発された希少品種で、「シャインマスカット」と「ウインク」を交配して生まれた高級ぶどうです。
糖度は18〜25度。種無しで皮ごと食べれます。
おすすめのカクテルは「富士の輝のミッキーファン・フィズ」です。
オオトリ・ジン、黒いシャインマスカット富士の輝、グレープフルーツ・ジュース、レモン・ジュース、ソーダ・ウォーターで作ります。
是非お試しくださいませ!
今週おすすめしているカクテル「Viva New Century / ビバ・ニュー・センチュリー」紹介。
2005年、丸の内で開催された最後の東京ミレナリオを記念し、当時の東京會舘本舘のチーフバーテンダーである後藤茂之 氏が考案したカクテル。
後藤茂之 氏は、1967年に東京會舘入社。
會舘ステアを体系化し広めた高頭徳一 親方のあとを、1994年に継承し、本舘チーフバーテンダー(親方)に就任された方です。
貴重な後藤茂之 親方のオリジナル・カクテルが「Viva New Century」です。
レシピ
Vodka 45ml
Parfait Amour 10ml
Chartreuse Jaune 5ml
上記材料をシェークしたショート・カクテル。
紫色したアラスカの様なカクテルです。
是非お試しくださいませ!
20歳のある時、醸造所での過労が原因で倒れます。そこから病をこじらせた神谷 氏は、医者に見放される程衰弱してしまいます。
そのことを知った雇い主のフランス人は神谷 氏を見舞い、持参した葡萄酒を飲ませます。
毎日飲み続けていると次第に元気になり、病から回復することができたそうです。
「滋養があり、効能のある酒をもっと普及させたい、しかし輸入品は高価でとても庶民には手が届かない。いつかきっと自分の手で誰もが口にできるような酒を作ってみたい!」と、思いが膨らんでいったという。
1875年、傳兵衛は東京麻布の天野という造り酒屋に奉公。
1880年4月、24才の時に独立を決意。
写真下が神谷傳兵衛 氏。
観音様への信仰が根強く、縁日の人手が多い浅草に目をつけていましたが、花川戸町四番地(現在の神谷バーの所在地)にて「みかはや銘酒店」をオープン。店名は故郷の地名にちなんだもの。そこでにごり酒の一杯売りを始めました。これが「神谷バー」の前身となりました。
神谷 氏は、日本で洋酒需要が高くなってきたタイミングで、ワインを一般に普及させようと考えます。
●1881年「蜂印香竄葡萄酒 」発売
当時ワインは、まだ日本人に馴染みないものでしたが、樽詰めワインを輸入し、ワインに漢方薬を浸漬し蜂蜜を加えた甘味果実酒を造り、1881(明治14)年に【蜂印葡萄酒 / はちじるしぶどうしゅ】として販売開始します。
1886年に「香竄(こうざん)」の商標登録を受け【蜂印香竄葡萄酒 / はちじるしこうざんぶどうしゅ】となる。
「蜂印」という名称は、かつて神谷 氏が「Beehive / 蜂の巣箱」というフランス産ブランデーを扱ったことにちなみます。
「香竄(こうざん)」は、父である兵助 氏の俳句の雅号であり、親のご恩を忘れないためにと、この言葉のなかに「隠しても隠し切れない、豊かなかぐわしい香り」という意味があることにちなみます。
浸漬しているボタニカルは、ラベルに描かれており、ローヤルゼリー、ドクダミ、カリン、ビワ、枇杷、銀杏、桂皮、丁子、カルダモン、コリアンダー、甘草、山椒、橙、ナツメグ、フェンネル、スターアニス、熊笹、高麗人参、蜂蜜、エゾウコギ、レイシ、クコの実、サンザシ、杜松の25種類。
この「蜂印香竄葡萄酒」は、親友で事業協力者でもある近藤 利兵衛 氏のマーケティング活動により、9年後には全国で人気商品となりました。
●1882年 みかはや銘酒店時代にボトルカクテル「速成ブランデー」発売
1882年(明治15年)に神谷 氏(27歳)は、輸入した酒類を原料にブレンドしたボトルカクテル「速成ブランデー」を造る。これが電氣ブランデーの原形となります。
速成ブランデーは、明治15年から流行していたコレラの予防に効果があると噂になり、人気となりました。
ベースに使われる輸入酒精の分析試験を念入りに行い、結果は、有害物を含まない廉価な薬用的飲みものとしての自言を強めることができた。この酒精そのものも販売しますが、需要が極めて少なかったことから、1883年には泡盛の販売を始める。
1898年、葡萄の苗を茨城県岡田村に6000本移植する。
同年、東京日本橋区銀河岸に神谷汽船合資会社を設置し運輸業をはじめる。
●1893年「電氣ブランデー」発売
電気の供給会社「東京電灯会社」が設立された明治16年から神谷 氏が速成ブランデーのレシピを少しづつ改良し、1893年に神谷酒造第二工場を東京本所区中ノ郷瓦町に設置し「電氣ブランデー(後のデンキブラン)」を発売させる。
レシピは、グレープ・スピリッツ(薬用として売られていた輸入ブランデー)、ワイン、ジン、ヴェルモット、キュラソーをブレンドしたボトル・カクテル。当時アルコールは45度であった。
ネーミングの由来は、文明開化の風潮の中で「氣」という言葉にはハイカラなイメージがあり、当時は目新しいものは「電氣〇〇」と呼ぶことが流行していました。
写真下左が発売当初の1893年の「電氣ブランデー」のボトル、右は「蜂印香竄葡萄酒」。
電氣ブランデーは「飲み口の良い、強いお酒なので身体の芯まで心地良くピリリとしびれるように酔いが回る」との評判となる。
1899年、日本酒精製造株式会社を設立する。同年に北海道旭川に酒造工場を設ける。
1901年に醸造場建築開始。「神谷葡萄園」にフランスボルドー地区の最新様式を取り入れた醸造場建築を始める。この年に、神谷葡萄園で栽培した葡萄で造る赤、白のワイン【牛久葡萄酒】第一号が誕生します。
1903年9月、牛久醸造場・牛久シャトー竣工。
11月1日に神谷酒造合資会社設立。
1911年、民間会社として国内で初めて99度以上の無水アルコールの製造に成功。
1912年4月10日(神谷 氏56歳)に、みかはや銘酒店の店舗内部を西洋風に大改造し、西洋風バー「神谷バー」へと改称。電氣ブランデーは、神谷バーの名物となる。
1919年、収集していた美術骨董品のコレクションを東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)に什宝668点を献納。
1922年4月24日に神谷 傳兵衛 氏は66歳逝去。
1957年に「デンキブラン」に名称変更
1957(昭和32)年に電氣ブランデーは、親しみを込めて「デンキブラン」へ改名。
同時にアルコール度数も45%から30%に変更される。
また神谷傳兵衛記念館の展示品の一つにボトル・カクテルと思われ「Mon bran / モンブラン」というものがあり、詳しくは解らなかったのですが、ネーミングからして神谷傳兵衛 氏が他界してからの商品でデンキブラン発売当初かその前にあったものではと推測しています。製造は、山梨県のワインメーカー太平醸造株式会社(旧中央発酵化学株式会社/日東工業株式会社)で造られています。太平醸造株式会社時代は1951年から1957年ですので、その間の商品であることは間違いないと思われます。
また電氣ブランデーを製造していた合同酒精株式会社では「bran d'or / ブラン・ドール」というブランデー・ベースのリキュールも製造していた様で、これもデンキブラン系だったのだろうか?気になる商品でした。
1983年に「電気ブラン・オールド」発売
1983年、電氣ブランデー発売当時のラベルデザインを踏襲し、アルコール分は45%ではなく40%にした復刻版の「電気ブラン・オールド」が発売。明治時代より受け継がれる秘伝のブレンドで造られているそうです。
9月9日は、重陽の節句(ちょうようのせっく)です。
1から9までの奇数(陽数)のうち、最も大きい「9」が重なる日であることから「重陽」と名付けられました。
別名「菊の節句」とも呼ばれ、酒に菊花を浮かべたり、菊花を酒に漬け込んだりした「菊酒(きくざけ)」を飲み、不老長寿を願う日です。
菊は古来、中国で優れた薬効を持つ植物として知られていました。
故事には、菊の雫が流れ落ちる川の水を飲んだ村人たちが長寿になったという「菊水伝説」があります。このことから、菊を浮かべたお酒を飲むと長寿になると信じられています。
中国に起源がある「菊酒」ですが、日本における最古の記録は、飛鳥時代の天武天皇14年(685年)9月9日に催された「重陽の節会」で飲まれたとされていますが、翌年9月9日に天武天皇が崩御されたことで、この日は国忌となりました。
そのため、791年までは重陽に関する儀式は行われず、菊酒も飲まれていなかったと考えられます。
平安時代初期の813年、第52代 嵯峨天皇が宮廷で「重陽の観菊宴」を催し、家臣に菊酒を振る舞い恒例行事にしていったとも言われます。
身体の邪気を払い、不老長寿を願って飲む風習であったそうです。
国内における菊酒の伝承地は、野生の菊が群生する石川県最大の河川・手取川流域の「鶴来(現在の白山市)」とされます。
当時の菊酒の作り方は以下です。
①日本酒に菊花を浮かべる。
②菊花を日本酒に浸漬したもの。
③菊花を浸した水(菊水)を日本酒に調合する。
花札の札に「菊に盃」がセットで描かれているのも、この伝統的な「菊酒」を表現したもののようです。
只今Cocktail Bar Nemanjaでは、③番に近いレシピで「菊酒」をご用意しております。
菊の氣水(芳香蒸留水)を日本酒にブレンドしたものです。
是非この機会にお試しくださいませ!
昨夜はバーテンダーさんと「カシス・ウーロン」のお話しとなり思い出しました。
調査報告をブログにアップしていなかったので、記載致します。
カシス・ウーロン調査完了。
前にカシス・ウーロン発祥地について掲載させていただきました ↓
http://catman.bar-nemanja.com/2025/12/blog-post_06.html?m=0
考案したと思われる方は女性で、横浜・新山下のクロスロードでバーテンダーをしていた「ERIKO」氏が創作したものが流行したとのことでした。
考案者は、佐藤恵莉子(さとう えりこ) 氏。
現在は横浜中華街で「MUSIC BAR D'ERLANGER / ミュージックバー・デ・ランジェ」のオーナーバーテンダーを務めっております。
カシス・ウーロンの流行は、1990年代後半。
週刊現代 1998年2月21日号 (通巻1971号)の中で新たなキラードリンクとして紹介されたことがありました。
そこで紹介されているレシピは「カシス1、ホワイト・ラム1、ウーロン茶3」の割合であると書かれている。
これは本来のレシピではなく、アレンジとしてラムを加えるスタイルもあったとのこと。
雑誌の取材当時、キラードリンクとして紹介されるとのことで、悪いお酒を飲ませるようなお店の書き方の掲載はご遠慮いただきたかったようなのですが、週間現代が誇張したお話にするためにアレンジ・レシピの方で紹介となったようです。
「カシス・ウーロン」の考案は、1997年の社員旅行となる2月の冬に創作したそうです。
正しい本来のレシピは以下です。
ルジェ・クレームド・カシス 30ml
ウーロン茶 120ml
カット・レモン
氷を入れたタンブラーに、カット・レモンを絞って落とし、材料を注いでビルド。
またウーロン茶割りのお話しで、恵莉子 氏のお気に入りのモクテル・レシピを教えてくれました。
それは「カルピス・ウーロン」です^ ^
ピルクルを思わす味わいで、おすすめとのこと。
90年代後半に、カシス・ウーロンは、ラム入りであると聞いたけどことがありましたが、元々は入らないと知れて大収穫でした^ ^
昨夜はネマニャに、W様が応援されている力士様がご来店くださり、楽しい一夜となりました。
お話の中で、力士の間で恐れられているドリンクがあると教えていただきました。
それは、酒豪でも知られる第69代横綱・白鵬 翔 氏が考案した豪快なスペシャル・カクテル【白鵬スペシャル】で、とあるクラブで作って振る舞ったことから始まったようです。
実際に何度も飲んだという力士様に、そのレシピを教えていただきました。
「白鵬スペシャル」のレシピは以下でした。
シーバスリーガル・ミズナラ12年 1本(700ml)
ビール中瓶 1本(500ml)
探索水 1本(190ml)
シークヮーサー 適量をスクイーズ
大きめなアイスペールに注ぎ、氷を加えて、オタマでビルドするというパンチ・カクテルです。
これを皆んなで回し飲みしたり、振る舞ったりするといいます。このパンチ・カクテルを何度も作り、皆さんで豪華に楽しむとのことです。
今では、白鵬スペシャルをアレンジしたレシピが、いくつかあるようです。
白鵬スペシャルに、オレンジ・ジュース 1000ml、コニャック 200ml加えたものもあるといいます。アイスペールに氷は1/3くらいにそうです。
力士様のキラードリンク...
危険なカクテルですので、真似されませんように!
今年も島根の高品質な葡萄「神紅」が入荷いたしました!
全体収穫量の僅か8%の出荷しかない神紅ホワイトタグです。厳しい基準をクリアしており、糖度20度以上、紅色着き8割以上、一粒が15g以上で大きさは25mmです。
おすすめカクテルは【神紅のミカド】です。
ミカドは、ジャパニーズ・カクテルの別名です。
コニャック、オルゲート・シロップ、ライム・ジュース、アンゴスチュラ・ビターズをシェークしたショート・カクテルです。
今回、上記レシピに神紅を加えて作り、神紅を飾り提供しております。
Japanese Cocktail / ジャパニーズ・カクテルは、1860年に考案されたと言われています。
1860年はアメリカに最初の日本外交使節団を派遣した年です。この年の2月9日、使節団一行は米国政府が用意した軍艦「ポーハタン号」に乗船し、品川を出港。横浜港経由太平洋を横断してホノルルに立ち寄り、同年3月にサンフランシスコに到着します。1か月滞在後は、パナマ地峡を経由してワシントンD.C.へ向かい、そこで数多くの歓迎と祝賀を受けました。その後はボルチモアとフィラデルフィアを経由し、1860年6月16日にニューヨーク市に到着。
ジェリー・トーマス氏が、1862年の著書にレシピを紹介していることから、トーマス氏が 1860年に日本外交使節団を記念してジャパニーズ・カクテルを創作したと考えられています。
別名である「 Mikado Cocktail」のカクテル名は、1895年の「Bartenders Guide」と「Bartenders’ Association of New York City: Official Hand-Book and Guide」に掲載されていることから、この年からの呼び名と思われます。
おすすめカクテル【日田天領西瓜のピンキー・ゴンザレス】
日田天領西瓜は、大分県日田自慢のブランド西瓜で、平均糖度が12度以上というコクのある甘味とシャリッとした食感が特徴です。
ピンキー・ゴンザレスは、1964年にVictor Bergeron氏が自身のレストラン「Señor Pico」のために考案したティキ・カクテルです。
今回、日田のブランド西瓜を取り入れたアレンジで提供しています。
テキーラ、日田天領西瓜、グランマニエ、アーモンド・シロップ、ライム・ジュースで作ります。
是非お試しくださいませ!
本日は、1954年11月18日、キャバレー・アスター・ハウスにて開催されたJBA主催の第6回 オールジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品【Flower Suntory / フラワー・サントリー】の紹介です。
フラワー・サントリーの創作者は大槻 考行 氏です。
レシピは、ドライジン1/2、デリカワイン・ホワイト1/4、スイート・ヴェルモット1/4、オレンジ・キュラソー2ダッシュをステアしてカクテル・グラスに注ぐ。レッド・チェリーを飾ります。
サントリーや幾つかのカクテル本では、デリカワイン・ホワイトの部分をドライ・ヴェルモットのレシピで紹介している。
やまがた紅王(べにおう)」が入荷しました。
「佐藤錦」「紅秀峰」に続く山形のさくらんぼとして期待されているとのこと。
甘さと酸味のバランスが素晴らしく、とても美味しいです。
おすすめカクテルは【やまがた紅王のフローズン・ピスコ・サワー】です。旬の美味しさを是非お試しください。
さくらんぼも添えてご提供します。
旬の美味しさを是非お試しください
今週はネマニャの小庭で育てているクチナシが綺麗に咲きました^ ^
今年も【スコーピオン】をご提供させていただいております。
1930年代後半にカリフォルニア州オークランドにあるTrader Vic'sのVictor Bergeron氏が考案したカクテルです。
ネマニャではラルースのスタイルでご提供します。
レシピはホワイトラム、コニャック、オレンジジュース、レモンジュース、オルジェ シロップ。クチナシの花を添えています。
クチナシの甘い香りとカクテルのサッパリとした口当たりに、初夏の到来を感じる一杯。数量限定です。
是非お試しくださいませ!
6月に入り薔薇が咲き誇る季節となりました^ ^
今年も農薬不使用栽培のアサオカローズ様の食用薔薇「オーバーナイトセンセーション 」が届きました!
当店のローアルコール・カクテル1番人気となっている【Rose Port Sling / ローズポート・スリング】
薔薇と港の街"横浜"をイメージしたカクテルで、低アルコール版のシンガポール・スリングのようなカクテルとなっています。
ノンアルコールジンNEMA0.00%スタンダード、ヒーリング・チェリー・リキュール、パイナップル・ジュース、レモン・ジュース、グレナデン・シロップで作り、オーバーナイトセンセーションとミントの葉を飾ります。
是非お試しくださいませ!
千葉県南房総市の「谷柴農園」さんの枇杷が入荷しました。
今回は露路びわで、品種は「田中」です。
今シーズンの枇杷の入荷はこれが最後になるかと思います。
おすすめペアリングカクテル【STEPHEN'S / ステファンズ】です。
ニューヨークのウォールドルフ・アストリアで考案されたカクテルとも言われており、1935年のカクテル本「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」にレシピが掲載されています。
通常のレシピはドライ・ヴェルモット、ドライ・シェリー、ベネディクティンDOMをそれぞれ同量で、シェークで作るショートカクテルです。
ネマニャ風にアレンジして、モスカテルワイン樽熟成のフェルディナンズ・レッド・ヴェルモット、ドライ・シェリー、ベネディクティンDOMをステアで作ります。
枇杷田中とご一緒にぜひ!
日本バーテンダー協会(JBA)主催のカクテル・コンペティションは何年から開催され、最初の優勝カクテルはどのようなレシピであったのかを調べてみました。
JBAは、1929年(昭和4年)5月1日に東京・神田パリスで発起人の荻野 直寿 氏、高橋 願次郎 氏、大阪 登章 氏、浜田 晶吾 氏、浅倉 進次郎 氏、鈴木 豊松 氏、 室井 光江 氏、本多 春吉 氏 斉藤 武雄 氏 高橋 徳兵衛 氏、玉田 芳太郎 氏、田村 八十八 氏、田村 清吉 氏、薄井 常雄 氏、伊藤 裕章 氏の15名と集まった40名で結成式が開催されました。
1931年から戦争がはじまり、満州事変から太平洋戦争(大東亜戦争)までの「十五年戦争」 で、自然消滅していた協会でしたが、1948年7月27日に再結成式が開催され、活動が再開します。
JBA主催の最初となるカクテル・コンペティションは、日本初のノンアルコール・カクテル大会でした。
1949年5月7日、戦後の酒類自由販売解禁の4日前となる 5月3日、東京・丸の内の日本工業倶楽部にて「全日本ソフトドリンク・コンクール」決勝が開催されます。
決勝審査員は料飲新聞関係から2名、料飲業者界からは壽屋やウィルキンソンタンサン社、コーヒー店より4名、有名人では東映監督や俳優の三船敏郎 氏、森 雅之 氏、アナウンサー、文士、漫談家から8名の合計14名で審査され、壹等1名、貮等1名、参等1名、佳作5名の入賞8作品が選出されました。
翌年の1950年の第2回は「オールジャパン・ドリンクス・コンクール」となり有名なカクテル「青い珊瑚礁」が誕生する。
全日本ソフトドリンク・コンクールの応募は2503作品にのぼり、1949年4月28日に第1予選会、5月1日に第2審査会が開催され決勝には8作品が選ばれました。
壹等(優勝)は、東京の杉田 幸一 選手が創作した【スノー・フジヤマ】でした。
●「スノー・フジヤマ」のレシピ
パイナップル・ジュース 90ml
フレッシュ・レモンジュース 1/3個分(15ml程)
砂糖 デザートスプーン 1杯(約3g)
上記をシェークして、氷を入れたソーダ・グラス(クリームソーダに使われる足付きグラス)に注ぎ、ホイップクリームを浮かべ、レッドチェリーを飾る。ストロー2本とロングスプーンを添える。
貮等は、須藤 勝 選手(東京) 作品名「サマー・デライト」
参等は、落合 謙二 選手(東京)作品名「ピース・バター」
佳作の5作品は「エバー・グリン」「オリエンタル・レモネード」「ストロベリー・シェーク」「シヤンクール」「バイオレット・スマイル」でした。
本日は、かつて日本でもとても流行していたカクテル【クラウディ・スカイ・リッキー】のお話し。
このカクテルは日本でとても人気で、海外であまり見かけず、今までこのカクテルに関する文献が無かったため、日本で作られたカクテルではないだろうか?とも考えられてきました。
たまに気にして調べておりましたが、ベルギー出身のバーテンダーであるRobert Vermeire氏が1922年にロンドンで出版したカクテル本「Cocktails: How to Mix Them」でレシピを確認することができました。
このカクテルが1922年にアメリカ・フィラデルフィアで流行しており、スロージン・リッキーのアレンジであることが記載されています。
リッキーのバリエーションであることは間違いないのですが、カクテル名は「Cloudy Sky」と呼ぶことが多かったようです。
日本では現在、スロージン、ライム・ジュース、グレナデン、ソーダで作られることが多くなりましたが、本来はソーダの代わりにジンジャーエールにしたもののようです。
私も90年代によく提供させていただいたカクテルで、ジンジャーエールで作るものと認識しております。かつての著書「フレアバーテンダーズ・バイブ」にもジンジャーエールを使用したレシピで紹介している。
改めて古い日本のカクテル本で、レシピも確認してみました。むしろソーダを使用する例があるのか?
古くはジンジャー・エールで作ることが多いようです。
【本日のお手伝いさん】
本日は将来BAR開業を目指す佐野氏がシフト入りしています!
彼は家内公認の珍しい 北條智之ファンでもあります^ ^
皆様、温かい目でお手柔らかにお願いいたします^ ^
ご来店お待ちしております!
熊本県の高級ブランドメロン「肥後グリーン」が入荷しております。
糖度が高く、皮のギリギリまでジューシーな翡翠色のメロンです。
●おすすめカクテルは【肥後グリーンのメネフネ・ジュース】です。
メネフネジュースは、1970年代初頭にトレーダー・ヴィックスが開発したマイタイのバリエーションで,ベースをホワイト・ラムに変更したものです。
メネフネは、ハワイの伝説上の小人族で、力持ちで手先が器用、そして働き者。カウアイ島がメネフネ伝説の本拠地として知られ、ハワイ諸島各地に彼らが作ったとされる史跡が残っているといわれます。
トレーダー・ヴィックスのメネフネ・ジュースは以下で紹介されています。
MENEHUNE JUICE
1 lime
½ ounce orange curaçao
¼ ounce rock candy syrup
¼ ounce orgeat syrup
2 ounces Trader Vic light Puerto Rican rum
Squeeze lime juice over shaved ice in a mai tai (double old fashioned) glass; save one shell. Add remaining ingredients and enough shaved ice to fill glass. Hand shake. Decorate with one spent lime shell, fresh mint, and a menehune.
紹介の「肥後グリーンのメネフネ・ジュース」は,ホワイト・ラム、肥後グリーン、グランマニエ、アーモンド・シロップ、ライム・ジュースで作ります。
是非お試しくださいませ!
楽しみにしていた枇杷が届きました!
谷芝農園さんの「房州温室びわ」4Lサイズの大玉 秀品です。
ペアリングのおすすめカクテルは【ハーフ&ハーフ】です。
ヴェルモットロッソ、ドライを半々にしたロック・スタイルのカクテルで、1956年に馬田浩二 氏が考案したと言われています。
モスカテルワイン樽熟成のフェルディナンズ・レッド・ヴェルモットとシュペトレーゼワイン樽熟成のフェルディナンズ・ホワイト・ヴェルモットのハーフ&ハーフで提供しております。
美味しい枇杷とご一緒に是非!
本日5月13日は「カクテルの日」!
横浜で誕生したとされるカクテル「チェリー・ブロッサム」を紹介いたします。
横浜のカクテルバー・パリの田尾多三郎 様が1923年12月頃に考案と伝わります。
田尾多三郎 様は、1893年の生まれ。
田尾 様は、大正時代に貿易会社の南米アルゼンチン支社長として活躍し、帰国後の1923年の関東大震災の後に伊勢佐木町で「カフェ・ド・パリ」を開店。
カフェ・ド・パリの初代チーフ バーテンダーは、東洋汽船外国航路のキャビンバーテンダーで日本バーテンダー協会創立発起人15人の1人となる高橋 徳兵衛 氏でした。
1945年5月の空襲前は横浜市中区尾上町4-49にありましたが、で焼失後は戦後は野毛山に移転し、1963年には現在の常盤町に移転する。
写真下はパリ様の昔のメニューに描かれる4階建ての「TAO Building」。描かれる弁天通り時代はバーとレストランもあったことが確認できます。
写真上は横浜大空襲前の時代の住所を示すもの。
チェリー・ブロッサムは、お店がオープンしたばかりで社交場として一番華やかだった戦前のカフェ・ド・パリ時代にカナディアン・クラブのキャンペーンをきっかけに創作したもので、1927年の世界大会で優勝した作品であることを田尾多三郎 様の奥様の幸子 様から聞いた事があります。
日本バーテンダー協会(JBA)が、1929年(昭和4年)に設立されたとので、JBAからの日本代表としてIBA世界大会に出場したのではないとなると、1927年の世界大会とは何の大会であったかは不明です。
カクテルバー・パリのチェリー・ブロッサムのレシピは、カナディアン・クラブにピーター・ヒーリング、チンザノ・ロッソ、レモン・ジュース、マラスキーノをシェークしたショート・カクテルで、デコレーションにレッド・チェリーを沈めます。
世界的に知られるブランデー・ベースのチェリーブロッサムは、1930年に出版されたロンドン・サボイホテルのカクテル本からレシピが変えられたと伝えられてきました。
しかしそれは、田尾 様が起源のものではなく、ヨーロッパで誕生したものと思われます。
フランスで1900年4月に発行されたフランク・ニューマン氏のカクテル本「1900-American-Bar Boissons Anglaises et Americaines」に現在一般的に知られているブランデー・ベースのチェリー・ブロッサムのレシピが掲載されていました!
(2020年5月14日に当ブログでも紹介)↓
catman.bar-nemanja.com/2020/05/1900.html?m=1
おそらく先にブランデー・ベースのチェリー・ブロッサムが考案されており、後にカフェ・ド・パリが同名でカナディアン・ウィスキー・ベースのチェリー・ブロッサムが考案されたと推測します。
また1933年のカクテル本「Odell's book of Cocktails and Fancy Drinks」に2つのチェリーブロッサムが掲載されています。
そこにはチェリー・ブランデー、フレンチ・ヴェルモット同量、ピーチビターがダッシュというレシピと、もう一つはチェリー・ブロッサム・カクテル(Mr. Tao's Formula)と書かれるものが掲載されています。Tao'sレシピは、カナディアン・クラブ、チェリーブランデー、イタリアン・ヴェルモットが同量、マラスキーノがダッシュとなっています。
掲載のレシピは完全なものではないのですが、かなり近いもので書かれています。
また田尾多三郎 様の最後の創作カクテルは「ブルー・ライト・ヨコハマ」で、1968年12月に考案したもの。
ウォッカ1/2、ブルーキュラソー1/4、レモンジュース1/4をシェークしたショート・カクテルで、レッド・チェリーが沈みます。
田尾多三郎 様は. 1952年4月24日JBA神奈川支部設立の初代支部長に就任 。1971年に他界となりました。