日本初のホテルと言われる「ヨコハマ・ホテル」が1860年2月24日に完成し、その中に日本初となるバーが誕生した。
ヨコハマ・ホテルには、意外にも様々な酒類が卸されていた事が解りましたが、カクテルがサーブされていた記録は出てきていません。
1860年代にシェリーやカクテルを社交クラブで楽しんだとイギリスの軍人が証言した記録もある。
その社交クラブとは【YOKOHAMA UNITED CLUB(横濱ユナイテッド・クラブ)】である。
海外のサイトでもヨコハマ・カクテルが横濱ユナイテッド・クラブで創られたのではないか?と書いているものもあり、少なかれ Y.U.C ではカクテルが飲まれていた様です。
1863年に横浜外国人居留地に「横濱ユナイテッド・クラブ」設立されました。
同年12月1日にイギリス近衞海浜隊のW.H.Smith氏により似た名前のクラブ「UNITED SERVICE CLUB(ユナイテッド・サービス・クラブ)」が設立され、設立当日にはクラブの劇場で横浜のアマチュア劇団による「ダイヤモンド・カット・ダイヤモンド」公演されました。
しかし一年が過ぎたばかりの12月15日にユナイテッド・サービス・クラブが火災を出し焼け落ちてしまい、横濱ユナイテッド・クラブと合併します。
1866年1月のザ・ジャパン・パンチに 横濱ユナイテッド・クラブのバーの光景が描かれていました。
ヘボン夫人から英語を学んでいた日本の青年が葉巻とカクテルらしきものを楽しむ絵が描かれます。
噂ではこの青年がこの時飲んでいたのはビールとも言われておりますが、ザ・ジャパン・パンチの筆者チャールズ・ワーグマン氏は、少なかれシャンパンやカクテルを楽しむ姿を横濱ユナイテッド・クラブで見ていたと推測され、この様な絵を描いたと思います。
1866年夏には、横濱ユナイテッド・クラブが918坪ある海岸通り5番に移転します。
新しい横濱ユナイテッド・クラブはW.H.Smith氏により運営されバーとビリヤード室、ボーリング場も設置されました。
1868年には会員制のホテルの経営をはじめ、更なるおもてなしに力を注いだと言います。
1876年にW.H.Smith氏は責任者として解任され、新たにWm.Wilkinson氏が会長に就任しますが年度ごとに会長が選出され運営されていく様になりました。
下の絵は新しく就任された横浜ユナイテッド・クラブ会長の絵。
1884年1月には横濱ユナイテッド・クラブは「クラブ・ホテル」として改修され、一角を横濱ユナイテッド・クラブ(居留地5番A・クラブホテルは5番B)と名乗ったと言います。
下は当時の横濱ユナイテッド・クラブとクラブ・ホテル。
左がクラブ・ホテル、右が横濱ユナイテッド・クラブです。
1923年9月1日には関東大震災で横濱ユナイテッド・クラブも倒壊し閉鎖となる。
1860年代に横浜でカクテルは飲まれていたと思われますが、カクテル名が出てこないため、どのようなカクテルが飲まれていたのかは未だに不明です。
カクテルが横浜で盛り上がりはじめるのは1870年代の様です。
次の⑤ではカクテル・メイキングには欠かせない氷を調べてみたいと思います。
氷はドリンクにいつから使われたのか?点が繋がってカクテルにたどり着くと嬉しいです。
まだまだ調べてみます!