2019/10/04

日本のバー誕生の地 横濱の話③ 酒類輸入と始まり


 日本のバー誕生の地".横浜 "
カクテルはいつから?

いままでの調査では1974年9月4日に確実にカクテルがサーブされた記録はつかめましたが、それより前にカクテルがサーブされた確たる証拠にたどり着けていません。

今回は横浜で正規輸入の酒類販売の記録はいつからで、どの様な商社があり、どの様な酒類が実際輸入されていたのかを大まかですがまとめてみました。


開港後、外国人は増加し洋酒需要に注目した横浜外国人居留地の商社は、関税の免許制を使い酒類の輸入販売もはじめました。

1861年あたりの酒類は、ワインとシャンパンの輸入のみと噂されておりましたが、調べてみると種類豊富に酒類が横浜に輸入されていた事が解りました。

1860年には長崎のアーノルド商会(1862年2月にグラバー商会に吸収)が酒類の輸入販売を開始しておりますが、横浜は1861年からになります。

1861年に横浜外国人居留地42番地付近に横浜初の酒類輸入商社「O.H.ベイカー商会」が創業します。

ある英字新聞の広告にO.H.ベイカー商会が輸入した商品がヨコハマ・ホテル(日本初のホテルで日本初のバーがあったとされるホテル)に卸されているという記録がありました。


1861年11月19日の広告内容に登場する酒類は、ポートワイン、シェリー、マデイラワイン、クラレット、シャンパン、ブランデー、ジン、ウィスキー、ラム、ビール。
主な数例の掲載で他の種の在庫もあったと思われます。

同年に居留地12番地に「ストイト商会」創業。
蒸留酒、ワイン、リキュールも輸入販売。

居留地29番地には「テキスター商会」創業。
コニャック、ワイン、シャンパン、ジュネヴァ・ジン、チェリー・リキュールを輸入販売。

1862年には居留地78番地に「ハンサード・キール商会」の存在も以下の英字新聞のSALEの広告から確認出来ました。



コニャック、クラレット、カリフォルニア・ワイン白、オールドトム・ジン、ビール、カクテルの副材料用途なのか?ライム・ジュースも書かれます。

ライムジュースはコーディアル・タイプのもので、上陸したイギリス海軍兵士にビタミンCと糖分の補給源として支給されており、海軍兵士は "ライミーズ" とも呼ばれていたそうです。

1863年には居留81番地に「W.L.パッスモー商会」も確認。
シェリー、シャンパン、ラム、ヴィンテージ・ポートや一級ワインの輸入も記録。

同年に居留地の場所は不明ですが「タサム商会」がスコッチ・モルトウイスキーを輸入販売しています。

1864年には居留地3番にはシェリーとビールを輸入販売する「ウィルキン・ロビソン商会」。
居留地70番地にはシェリー、ポートワイン、シャンパン、クラレット、ジン、ウィスキー、ブランデーを輸入販売する「キャリエル商会」。
居留地52番にはシェリー、シャンパン、クラレット、ウィスキー、ブランデー、ラムを輸入販売する「エスクリッジ」。

1865年には居留地85番地にシェリー、ワイン、シャンパン、ビールを輸入販売する「E.C.ギルビー商会」。
またこの年にドイツ人のパトウ男爵が居留地99番地に「ビア&コンサート・ホール」を開設。

1866年には居留地23番地にはリキュール、ワイン、シャンパンを輸入販売する「サラベル」。
居留地41番地にウイスキー、ブランデー、ビールを輸入する「A.マーク商会」。

1870年には居留地73番地に「ランゲフェルド・メーヤーズ商会」。
同年に「カルノ商会」も開業し、1872年には横浜から新橋に鉄道が開通。
東京築地の【精養軒ホテル】は1873年にカルノ商会からブランデー、ウィスキー、ジン、リキュールを卸してもらっていました。
精養軒ホテルでは当時、日本海軍の士官達が洋食やカクテルなどを頂くマナーを身につける為に通われたといいます。

下はザ・ジャパン・パンチに絵ががれたカルノ商会(中央)。



1870年代にも横浜に洋酒を輸入する商社は以下の様にありました。

1872年は居留地85番地の「E.C.ギルビー商会」。
居留地68番地に二つ「タダロ・ズベロ」、「ジウベル」。
居留地89番地には「マロン」。
居留地73番地には「ハドソン・マルカム」。

1873年には居留地177番地に「バルマル」。

1876年には居留地77番地(1889年には居留地62番地に移転)に「L.コーウドルリ商店」。

1877年には居留地96番地に「グレイネル商会」。

1878年には居留地176番地に「モルフ商会」。

まだまだ調べれば出て来そうですが、1860年代、1870年代には洋酒が沢山輸入されており、思っていた以上にホテルのバーや街酒場で洋酒が飲まれている事も解りました。

1870年代には横浜でカクテルが飲まれていいた記録が出てきましたが、1860年代は記録として確実なものがまだ掴めておりません。

次回④は1860年代にカクテルが飲まれていいたかもしれないクラブの話です。


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