2020/11/29

日本のバー誕生の地 横濱の話⑮ ルイス・エッピンガー

 本日は日本のカクテル歴に大きな影響を与えたLouis Eppinger(ルイス・エッピンガー)氏とグランドホテル新館開業のお話です。

写真下に写るルイス・エッピンガー氏はグランドホテルで支配人からマネージング・ディレクターとして16年勤めた事で知られます。



1889年初めに業績不振であったグランドホテルは、M.McDonald氏とJ.F.Lowder氏らに20万ドルで買取られ、資本金25万ドルで新たに設立。

夏より株式組織となりました。

代表運営者は、M.McDonald氏、アメリカ海軍医のC.U.Gravatt氏、イギリス海軍主計大佐のW.B.Walter氏、E.Blanc氏ら4名となり新たに運営されました。 

運営が始まり間も無く、グランドホテルの右横に新館を建てる計画がすすめられました。

支配人として招聘されるルイス・エッピンガー氏ですが1889年に来日とされておりますが、自分の調べでは確証が持てず、1890年5月新館開業を予定として、支配人就任も1891年1月であったことから、1890年にサンフランシスコより招聘された可能性もあると考えています。

工事中の1889年の年末から1890年明けに代表運営者の筆頭のM.McDonald氏、C.U.Gravatt氏が日本を離れました。

その後、J.F.Lowder氏、E.Blanc氏の2人が代表運営責任者となり、その時にルイス・エッピンガー氏を支配人として招聘したと思われることから、1890年来日の可能性が高いのではと考えております。

正確な来日日の記録は見つかっていません。


1890年6月30日、横浜在住のフランスの建築家P.Sarda氏によりグランド・ホテル新館が建てられオープンとなりましたが、内装工事が未完成でありました。

未完成には理由があり、ホテル側がP.Sarda氏に対して設計料等を未払いであった事から工事が途中で止められました。

1891年11月から12月には裁判事件にまで発展してしまいます。

この時に写真上のビリヤード&バールームも設置となりましたが、新館全体の内装工事が終わるのが 1891年1月。

ルイス・エッピンガー氏が支配人として正式に就任したのもこの頃です。

ルイス・エッピンガー氏は、ドイツで生まれ長い間アメリカで暮らし、招聘される前はサンフランシスコのハレック・ストリートのバーの責任者として働いていました。

黒い口髭に白いコート格好でしたが冗談を言い気さくで陽気な人物でサンフランシスコでも人気のバーテンダーであったとの事です。



ルイス・エッピンガー氏は、1891年1月より支配人として働きはじめ、カクテル「バンブー 」、「ミリオンダラー 」を横浜で流行らせて来た事は有名な話しです。

日露戦争が始まった翌年の1905年支配人から退き、アメリカから後任の支配人にH.E.Manwaringを招聘し、自身はマネージング・ディレクターとして働きました。

1908年6月14日、ルイス・エッピンガー氏は77歳で他界。

新聞にもそのニュースが掲載されていました。


次回は、日本のバー誕生の地 横濱の話⑯バンブー を予定しております。