2023/06/01

カミカゼは横須賀発祥?

カクテル「カミカゼ」 の発祥について現在まででわかっていることを書きたいと思います。



アメリカ誕生説で1番古そうだと思われるものは以下の2つ。

1970年代の2つのスポーツ専門雑誌は、2つの可能性のある起源物語を指摘しているようです。

その1つは、1989年の「モーターボート・アンド・セイリング」誌の1月号で紹介された内容です。

1972年にニューヨークの Les Pyrenees restaurantのバーテンダーTony Lauriano氏がカミカゼを考案したと主張しています。

Tony氏は当時、ブロードウェイで行われる「ジーザス・クライスト・スーパースター」のオープニングを記念して、作品の作曲家Andrew Lloyd Webber氏のために創作したとの話。




はじめは「Jesus Christ Superstar 」と名付けられたそうですが、ネーミングが長いのと、このカクテルを数杯飲むと陥ちることから次第に「Kamikaze」と呼ばれるようになったという。

レシピは、ウォッカ45ml、コアントロー45ml 、レモン1個分、ライム1個分をシェーク、ミントを飾ると紹介されている。


もう一つは、1979年のマガジン「スキー」の10月号78ページ。

バーモント州で人気のスキードリンクとして紹介している。

カミカゼは、1970 年代初頭にブロリダで発明されたのちに、ニューヨーク伝わり人気になったという。





70年代のアメリカではとても人気のカクテルであったことが伺え、1975年には酒造会社のMontebello Brands がプレミックスしたボトルカクテル「Montebello The Original Kamikaze Cocktail」の販売もはじめています。





しかし、更に古い年代に日本で飲まれていたという話しもあります。

一説によると第二次世界大戦後となる1945年に米海軍横須賀基地内で飲まれはじめたとも言われていますが、それを証明するものが現在みつかっていません。

しかし調べていくと横浜・横須賀で長年飲んでいるゲストの話しでは、1960年代に横須賀ドブ板通りの酒場でカミカゼを飲んだと話す人が数人いらっしゃいました。

しかも当時はシンプルなレシピで、スミノフウォッカ50に少量のライムコーディアルを加えたショットであったとのことである。

確かにすっかり忘れておりましたが、海外のカクテル本でウォッカに少量ライムジュースのレシピの例があった事を思い出しました。




神奈川で他のエリアではどうであったのか?
気になり少し調べてみました。

横浜市神奈川区の横浜港瑞穂埠頭に所在する横浜ノースドッグの手前にあるアメリカ軍人を客の大半としてきた「バー スターダスト」や「バー ポーラスター 」では、かつてカミカゼが大人気で、今でもスターダストではシグネチャー カクテルとなっています。

レシピはウォッカ、日本酒、ライムコーディアルのロックスタイルです。




伺ってみるとこのレシピになったのは、1980年代に入ってからのもので、トリプルセック入りが甘いとのことでアメリカの軍人のリクエストで日本酒に差し変わったとのこと。

それまでは70年代から80年代の途中までは、ウォッカ、トリプルセック、ライムコーディアルが主流のレシピだったそうです。

1947年から2022年9月30日までバーテンダーをされていたブルドッグの名付け親で知られる榊原直哉(マイク)氏にもカミカゼについてお伺いしたことがありました。

マイク氏は、1947年(当時15歳)に進駐軍相手の琵琶湖ホテルのバーテンダーとして勤務し、その後は伏見海兵隊キャンプ、立川エアベース、大船PX本部将校クラブではマネージャーを務め、1965年に大船PX本部が撤収する事になりその年の12月に鎌倉に自信のニックネームを冠したお店「マイクス・バー」をオープンされた方です。




戦後から神奈川で飲まれてきたカクテル事情にもお詳しい方のお一人ということで、カミカゼのことをお伺いしてみました。

大船PXではカミカゼを作ったことが無く、鎌倉ではあまり飲まれて来なかったカクテルとのことでした。

本牧で1964年から営業している「ゴールデンカップ」の初代オーナーの上西 氏や「IG」でもお伺いしてみましたが、60年代、70年代にカミカゼが飲まれていた様子が聞けませんでした。

神奈川で1番古くに飲まれてきたエリアは、やはり横須賀であるようです。

カミカゼの発祥地は横須賀なのかもしれません。