2024/10/14

横濱インターナショナル・カクテル・コンペティション2024結果発表とフレア部門審査総評

 2024年10月14日開催の【横濱インターナショナルカクテルコンペティション2024】結果。

クラシック部門

グランプリ BAR AdoniS(東京) 穴澤 大輝 選手

金賞 BAR YAMANOI(栃木) 山野井 皇 選手

銀賞 和フレンチ&BAR Le HUBLO(京都) 高木 聖夜  選手

銅賞 BAR山野井(栃木) 山野井 訓子  選手

銅賞 バー・ブリリアント(神奈川) 稲葉 美波  選手

銅賞 バー・テンダリー(東京) 松本 勇人  選手

台北バーテンダー協会長賞 バー洋酒考Abe(東京) 阿部 一平 選手

ベストテクニカル BAR AdoniS(東京) 穴澤 大輝 選手

ベストテイスト BAR AdoniS(東京) 穴澤 大輝 選手










クリエイティブ部門

グランプリ エクシブ湯河原離宮(神奈川) 橋本 匠馬  選手

2位 帝国ホテル アクアラウンジ(東京) 須崎 仁慈  選手


フレア部門

グランプリ 池袋カラソル(東京) 飯嶋 裕太(ジーマ)  選手

2位 池袋カラソル(東京)高橋 優太(コビト)  選手

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⚫️フレア部門の総評

フレア部門に出場された皆様、大変お疲れ様でした。

今回は皆様が大会出場経験者で国内で優勝経験豊富なメンバーまで出場いただき、お陰様で観客の皆様にも見応えのある大会になったのではと思います。

今回のルーティーンの練習量が足りず崩された印象の選手もおりましたが、プロ選手の皆様はスコアシステムをしっかり理解した上で、それぞれが選んだ演技構成で挑まれ、とくに今年は振り付け、曲との調和性をしっかり意識したエンターテイメント性の高い演技であったのは良い印象的でした。

大会向けのルーティンとしては、難易度の詰め込みやクリエイティブな表現が物足りない内容ではありましたので、日頃の練習で既に習得しているリスクあるテクニックを詰め込み、次の大会で驚かせていただきたいと思いました。

出場経験の少ない選手におかれましても短い期間に素晴らしい成長ぶりで、今後に期待が持てるものでした。

またカクテルは、ほとんどの選手が商品価値の高いもので、日頃のドリンク提供のよい姿勢が伺えるものでした。

皆様、今回は出場本当にありがとうございました。


2024/10/11

1976年に発表された「プレリュード・フィズ」

Prelude Fizz

プレリュード・フィズ  "前奏曲"

本日は昔のカクテルブックで数件、取り上げられていた【プレリュード・フィズ】の紹介。



調べてみるとこのカクテルは、HBC( 現在の一般社団法人日本ホテルバーメンズ協会)主催のカクテル・コンペティションの入賞作品。

1976年に開催されたHBC創作カクテル・コンペティションで第5位に入選したカクテルです。

創作者は、東京エアーターミナルホテルの宮崎幸一 氏となっています。



カンパリ 30ml、カルピス 20ml、レモンジュース 10ml、ソーダ 適量

ソーダ以外の材料をシェークして、氷を入れたオールドファッショド・グラスに注ぐ。ソーダで満たしてレモンスライスを飾る。

ローアルコールですので、スターター・ドリンクに是非お試しくださいませ!


2024/10/07

長野県産の葡萄「雄宝」とペアリングカクテル

 Andalusia

長野産の葡萄「雄宝(ゆうほう)」が入荷しました。

雄宝は「天山」という大粒葡萄と「シャインマスカット」のかけあわせによって生まれた品種。

上品な甘さで大粒で食べ応えのあるぶどうです。





ペアリングでシェリー・ベースのカクテル【アンダルシア】をおすすめしております。

レシピはドライシェリー、コニャック、ホワイトラム、ビターズです。

是非お試しくださいませ!

★10月7日(月)★

本日は所用により19時オープンに変更させていただきます。早い時間帯にご利用予定のお客様方にはご不便をおかけしまして申し訳ございません。

どうぞよろしくお願いいたします。

2024/10/04

1862年に横浜で飲まれていたカクテル「アラキチンダ」

 おすすめカクテル【アラキチンダ】

アラキチンダは、1862年に横浜外国人居留地で飲まれていたカクテルでネーミングはアラキ酒とチンタ酒の造語で名付けられたものです。




アラキは、1551年1月にザビエルが京都を訪れた際に土産物として持ち込んだとされており安土桃山時代にも知られた蒸溜酒です。

江戸時代では東南アジア諸国に限らずポルトガル、スペインなどヨーロッパからの蒸留酒全てをarrakだと認識しており、日本ではかつてアラキ(阿剌吉 又は荒木)酒と呼ぶようになりました。

江戸時代後期の資料によると、アラキ酒は焼酎や泡盛とは違い薬用も兼ねた蒸留酒である事が書かれており、アラキ酒がジュネヴァであることを説明しています。

1862年、何をチンダ(チンタ)と捉えたのか?

チンダは、チンタを指す言葉?

ポルトガルの赤ワイン「Vioho Tinto(ヴィニョ・ティント)」の "ティント" が チンタと伝わったとかワイナリーをポルトガル語で "キンタ" とも言うので、それがチンタになったのではとも言われています。

16世紀のチンタはポートワインではないのですが、1860年代の日本ではルビーポートワイン、他酒精強化ワインは珍陀酒(ちんたしゅ)と捉えたようです。

江戸時代後期では、ワインは阿蘭陀葡萄酒、◯◯葡萄酒と言っており酒精強化ワイン以外のワインは区別しています。

1862年までに輸入されている酒精強化ワインをチンタとするならば、ヴェルモットは輸入されていないので、ポート、シェリー、マデイラの3つに絞られます。

当時の新聞の広告に書かれる酒類の銘柄は人気順に書かれており、スピリッツはウイスキーよりブランデーの方が好まれていたので、新聞広告に記載の順は①ブランデー②ジン③ウイスキーです。これでいくと酒精強化ワインの広告記載順は①ポート②シェリー③マデイラです。



そのことから本来あるべきチンタではないですが、1862年の横浜開港見聞誌でいうチンタ(酒精強化ワイン)はポートのことをさしている可能性が高いのではと考えました。

よってアラキチンダには、ジュネヴァ(アラキ酒)とポートワイン(チンタ酒)が材料に使われたと推測しています。

配合ですが、1860年代のマルチネスやマンハッタンがヴェルモットがベースで蒸溜酒が少ない割合なことからネマニャでは以下の配合で提供しております。


ARAKICHINDA アラキチンダ

ポートワイン 2/3

ジュネヴァ 1/3

ステアしてカクテルグラスに注ぐ。

是非お試しくださいませ!

2024/10/02

横浜・曙町のバー「アポロ」60周年記念イベント

営業終了後に横浜・曙町の老舗バー「アポロ」様へ。

本日2024年10月2日(水)は、アポロ様の60周年記念イベント!

急な訪問にもかかわらずお店のご厚意で参加させていただきました。

今夜はとても賑やかでした^ ^

いつもは黒いベスト姿の石原清司(チャン)マスターですが、今夜は息子さんから店の還暦祝いにとプレゼントされたという赤いベストでのお姿でした。




次の大きな祝いごとが再来年3月に迎える米寿(88歳)で、それを目標に頑張られるとのことでした。







お店の60周年、本当におめでとうございました!

2024/10/01

日本のバー誕生の地 横濱の話⑲横浜で修行された本多春吉 氏と東京會舘と會舘ジンフィズ

今回は横浜でバーテンダーの修行をスタートされた伝説のバーテンダーである本多春吉 氏の話。

本多春吉(ほんだ はるよし)

1896年生まれ。

1917年(大正6年)に、横浜グランドホテルのバーに見習いとして入社。

当時のバーの支配はH.E.Manwaring氏(Louis Eppinger氏より1905年に支配人を引き継ぐ)、チーフバーテンダーは中国系のチン氏、No.2に高橋顧次郎 氏(日本バーテンダー協会の発起人の1人で第2代会長に就任)、No.3に浜田晶吾 氏(1912年入社し1915年にバーテンダーに昇格)で、その環境の中で修行をはじめられました。

1923年の関東大震災で、余儀なくされ休館した東京會舘ですが、4年後に営業再会となり、本多春吉 氏をチーフバーテンダーとして迎え入れられる。

本多春吉 氏は、面倒見のよいお方で、責任感が強く、江戸っ子気質なところからチーフではなく"親方"と呼ばれ、依頼歴代の東京會舘のトップのチーフバーテンダーは親方と呼ばれてきました。

1929年5月1日、日本バーテンダー協会(JBA)設立。

1934年には、後に"ミスターマティーニ"と呼ばれる今井清 氏(当時15歳)が東京會舘に入社。

東京會舘は、1940年10月12日から日本の政治結社「大政翼賛会」が 微用することにより「大東亜会館」として改名させられます。

大東亜会館として使われたのは、1945年6月ごろまで続きました。

1945年(昭和20年)8月15日終戦。

その年の12月に連合国軍最高司令官総司令部/GHQ (General Headquarters)の高級将校クラブとして接収され "American Club of Tokyo" と呼ばれ受託営業が始まりまが、12月は開設準備期間で営業出来なかったといいます。札幌の名門バー「やまざき」を開業する山崎達郎 氏が見習いとして入社したのもこの年の12月となります。

1946年に「株式会社 東京會舘」と商号を変更し再出発。将校クラブとしては1952年まで重用されてきました。

1946年は會舘ジンフィズが誕生した年。

接収後の営業再開まもない昭和21年に、米軍将校達が朝からジンフィズを飲んでいることを隠すために "Gin Fizz Milk on Top" を注文しはじめたといいます。

ジンフィズの材料にレモンやソーダ が入るため、ミルクをフロートさせただけでは分離してしまいます。

液体の分離が避けられないミルク入りのジンフィズは、当時の東京會舘のチーフバーテンダー(親方)である本多春吉 氏により、配合調整や作り方が工夫されたと聞きました。

当時とても人気で毎日昼までにジンが3本空いていたそうです。

その後の本多 氏の活躍は以下です。

1948年7月、戦争で一時的に消滅していたJBA再建。

1948年、本多 氏は日本バーテンダー協会(JBA)の4代目会長に就任しますが、任期は短く7ヶ月。



写真中央が本多春吉 氏、右は浜田晶吾 氏、左は今井清 氏。

1953年には2代目となるミスターバーテンダーの表彰を受ける。

1955年にバーテンダー協会が分裂する。

1955年11月、全日本バーテンダー協会(ANBA)創立。会長には室井良介 氏、顧問に本多春吉 氏が就任した。

1959年、本多 氏がANBA会長時代に尽力のお陰様で国際バーテンダー協会(IBA)に加盟。

1973年、本多 氏は77歳で他界となります。

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◎會舘ジンフィズ

私は1994年に東京會舘に入社し、当時一番カクテルをサーブしていた営業所である世界貿易センタービルの39階「浜松町東京會舘Bar 39」の配属でした。当時の本館の飲料支配人で高頭徳一 親方や、高頭 氏の後を引き継がれた後藤茂之 親方に当時の會舘ジンフィズの様子を伺ったことがありました。




ベースのジンは45〜60mlで、米軍将校達のほとんどは60mlを希望し、10タンブラーに氷は大きめが一個という仕上がりであったという。

90年代までの會舘ジンフィズも氷が大きめを1ピースと記憶している。

私が東京會舘に在籍していた頃の會舘ジンフィズの基準レシピは以下でした。

ドライジン 45ml

ミルク 30ml

フレッシュ・レモンジュース 15ml

シュガーシロップ 1tsp

ソーダ ・ウォーター 適量

ソーダ以外の材料をシェークし、氷を入れた10ozタンブラーに注ぐ。

作り方に特徴的なところはソーダと混ぜ合わせる場面です。

シェーク後にタンブラーに注ぎ、バースプーンを底まで入れてソーダを注ぎながらスプーンで底をトントンと叩きながら攪拌します。

レモンジュースは標準が15mlです。上手く仕上げられなければレモンは少なくしする必要があり10mlに調整をする。その逆でレモン20mlとなるとハードなシェーキングや随所に工夫を入れて作る必要があります。レモンがより多くなれば分離しやすくなり作り方が難しくなるということです。

通常のジンフィズには、レモンジュースが20ml使われます。會舘ジンフィズの本来の理想はレモン20mlなのです。15mlを標準にしているのは皆が調合できる割合と理解しました。

カスタマーにより、ドライがよい、甘めがよい、サッパリめがとリクエストがあり、幅広い會舘ジンフィズの作り方も必要としていました。

私は修行時代に"最高の會舘ジンフィズを提供したい!"と思い、レモン20mlの理想的な味わいで、仕上げ方が難しくなるとされるレシピにとても興味を持ちました。

會舘ジンフィズの作成動画 ↓

https://youtu.be/Em8nReMYphU?si=WiS3X7qt-f0ri3qt

以来、私の會舘ジンフィズはレモン20mlでサッパリとした仕上がりでご提供させていただいております。


◎クリーム・フィズとフーバー・フィズ

似たカクテルとしては日本では、1924年に出版された前田米吉 氏著書の「コクテール」に【Cream Fizz】が掲載されています。

「クリーム・フィズ」のレシピは以下です。

ドライジン 2オンス

クリーム 少量

レモン・ジュース 1個分

シュガー・シロップ 1 tsp

シェークして、氷を入れたグラスに注ぎ、平野水(ソーダ水)で満たすとなっています。

またホテルニューグランドのシーガーディアンには、戦前に通われていた英国人のフーバーさんのリクエストで誕生したカクテル【Hoover's Fizz】もあり、上記のクリーム・フィズにとても似たレシピです。

ラモス・ジンフィズをはじめ、クリームやミルクを使用する色々なジンフィズのレシピがございますが、是非 會舘ジン・フィズもお楽しみいただきたいです。