2024/10/04

1862年に横浜で飲まれていたカクテル「アラキチンダ」

 おすすめカクテル【アラキチンダ】

アラキチンダは、1862年に横浜外国人居留地で飲まれていたカクテルでネーミングはアラキ酒とチンタ酒の造語で名付けられたものです。




アラキは、1551年1月にザビエルが京都を訪れた際に土産物として持ち込んだとされており安土桃山時代にも知られた蒸溜酒です。

江戸時代では東南アジア諸国に限らずポルトガル、スペインなどヨーロッパからの蒸留酒全てをarrakだと認識しており、日本ではかつてアラキ(阿剌吉 又は荒木)酒と呼ぶようになりました。

江戸時代後期の資料によると、アラキ酒は焼酎や泡盛とは違い薬用も兼ねた蒸留酒である事が書かれており、アラキ酒がジュネヴァであることを説明しています。

1862年、何をチンダ(チンタ)と捉えたのか?

チンダは、チンタを指す言葉?

ポルトガルの赤ワイン「Vioho Tinto(ヴィニョ・ティント)」の "ティント" が チンタと伝わったとかワイナリーをポルトガル語で "キンタ" とも言うので、それがチンタになったのではとも言われています。

16世紀のチンタはポートワインではないのですが、1860年代の日本ではルビーポートワイン、他酒精強化ワインは珍陀酒(ちんたしゅ)と捉えたようです。

江戸時代後期では、ワインは阿蘭陀葡萄酒、◯◯葡萄酒と言っており酒精強化ワイン以外のワインは区別しています。

1862年までに輸入されている酒精強化ワインをチンタとするならば、ヴェルモットは輸入されていないので、ポート、シェリー、マデイラの3つに絞られます。

当時の新聞の広告に書かれる酒類の銘柄は人気順に書かれており、スピリッツはウイスキーよりブランデーの方が好まれていたので、新聞広告に記載の順は①ブランデー②ジン③ウイスキーです。これでいくと酒精強化ワインの広告記載順は①ポート②シェリー③マデイラです。



そのことから本来あるべきチンタではないですが、1862年の横浜開港見聞誌でいうチンタ(酒精強化ワイン)はポートのことをさしている可能性が高いのではと考えました。

よってアラキチンダには、ジュネヴァ(アラキ酒)とポートワイン(チンタ酒)が材料に使われたと推測しています。

配合ですが、1860年代のマルチネスやマンハッタンがヴェルモットがベースで蒸溜酒が少ない割合なことからネマニャでは以下の配合で提供しております。


ARAKICHINDA アラキチンダ

ポートワイン 2/3

ジュネヴァ 1/3

ステアしてカクテルグラスに注ぐ。

是非お試しくださいませ!