2026/01/18

OMO5横浜馬車道 by 星野リゾート行ってみました!

2026年 1月15日にオープンしたOMO5横浜馬車道 by 星野リゾートに行ってきました。

ザ・タワー横浜北仲の46階がレセプション&ロビーとなっています。

横浜のベイビーやシティービューが一望できる最高のロケーションです。










宿泊者が利用できるフィットネスセンターやラウンジ、ビリヤードや卓球などのプレイルームやシアターなど。日中も夜も楽しく時間を過ごすことができます。










夜景じかん自販機や天空のナイトパーティーなど楽しい時間を過ごすことができる仕掛けもありました。パーティーは飛鳥クルーズのエンターテイメントを彷彿させるような感じでした。








客室は9タイプ175室。全室にキッチンと洗濯機がついていて、タワーマンションに暮らしているかのような時間を過ごすことができます。












OMO滞在がとても楽しかったので、4月に関内にオープンするOMO7横浜も早速予約した^_^

開業が楽しみです!

2026/01/13

日本のバー誕生の地 横濱の話⑳ ヨコハマ・カクテル


本日は「ヨコハマ・カクテル」のお話。

ドライジン1/3、ウォッカ1/6、オレンジジュース1/3、グレナデンシロップ1/6、アブサン1ダッシュをシェークした「ヨコハマ・カクテル」。



言い伝えでは、横浜に寄港していた極東航路の貨客船のバーで生まれたと言われています。

貨客船や横浜で誕生したカクテルなのだろうか?

証拠となる文献が見つからないので、現段階でもはっきりしていませんが、解っている範囲での推測を書き残したいと思います。


ヨコハマ・カクテルはいつ頃誕生したのか?

1923年のHarry MacElhone著の「Harry of Ciro's ABC Of Mixing Cocktails」にレシピが掲載されておりますのでこの頃にあったのは間違いないです。




日本のカクテル本では、1933年の「O'DELL'S BOOK of COCKTAILS and FANCY DRINKS」に「ヨコハマ・カクテール」の掲載が確認できる。





1920年前後にウォッカを使用したカクテルは貴重

材料に使用されるウォッカですが、ロシア以外の国で飲まれるようになるのは、1917年のロシア革命以降で、革命により亡命したロシア人が、亡命先の国々でウオツカ製造をはじめるようになったことで流通される。

ロシアは第一次大戦が始まった1914年から、建前上は禁酒国家となり、ロシア革命後もこの政策は1925年まで維持され禁酒時代となっていました。

1925年の禁酒令後は、ウォッカ専売制が復活し、1930年代には重要な税収源となります。1930年代のウォッカの輸出は小規模ですが行われていました。

アメリカでは1933年に禁酒法が撤廃されるとウオツカの製造が盛んになります。

ロシア革命から1920年代までは、他の国々がウォッカを入手することは困難で、1923年の「Harry of Ciro's ABC Of Mixing Cocktails」にヨコハマ・カクテルが掲載されるまでは、世界中のカクテル本にウォッカを使用したレシピが登場することはとても珍しく、一部の国ではウォッカが粗悪ない酒扱いしていたため、カクテルに使われることはほとんどない時代でした。

そうすると1923年までに日本でウォッカが輸入される事や製造されることもなかったので、日本で考案という考えからは遠ざけてしまいます。

貨客船のバー説であれば、海外で入手した珍しいウォッカがあったかもしれないとも考えますが、材料に使用して大々的にカクテルに使えただろうか?


1920年前後にアブサンも入手困難

フランスをはじめとする多くの国で、アブサンの主成分であるニガヨモギに含まれる「ツヨン」による幻覚作用や中毒性が問題視され、製造・販売・飲用が禁止されたことも有名な話。

ベルギーは1905年、スイスでは1910年、アメリカでは1912年、イタリアでは1913年、フランスでは1915年と続々と禁止されました。

その時代にイギリスではアブサンを禁止する法律は特に施行されておらず、アブサンを使用したカクテルは沢山登場していました。


ヨコハマに似たカクテル「Monkey Gland」

ヨコハマ・カクテルに似たカクテルに「Monkey Gland / モンキー・グランド」があります。このカクテルは1920年代に入りパリに戻ったHarry MacElhone氏や、パリのホテル・リッツのFrank Meier氏が考案しフランス誕生説もありますが、実は1919年にロンドンで大流行していたカクテルのようです。

1919 年10月30日にイギリスの新聞「The Buffalo News」で、モンキー・グランドがロンドンで登場し流行していると報じています。 考えてみればアブサンを使用したカクテルは、この時代であればイギリスからであろうと考えるのが自然です。



モンキーグランドのレシピは以下です。

①ドライ・ジン1/2、オレンジジュース1/2、グレナデン・シロップ1tsp、アブサン1tspをシェークしてカクテル・グラスに注いだもの。

②ドライ・ジン2/3、オレンジジュース1/3、グレナデン・シロップ1tsp、アブサン1ダッシュをシェークしてカクテル・グラスに注いだもの。

またアブサンの変わりに、ベネディクティンDOMにしたレシピもあります。グレナデンシロップが数ダッシュ表記もあります。

写真下は1923年の Harry of Ciro's ABC Of Mixing Cocktailsに掲載のモンキー・グランド。



ヨコハマ・カクテルのレシピにとても似ており、創られたと思われる年代もモンキー・グランドと同じ頃ではないかと思われるので、ヨコハマ・カクテルはモンキー・グランドが先に誕生しており、ウォッカを追加したバリエーション・カクテルとして誕生したのかもしれないです。

日本のカクテル本には、1924年に刊行した前田米吉 氏の「コクテール」に掲載されておりますが、ヨコハマ・カクテルは掲載されていない。





ハリー・マッケルホーン氏がロンドンで考案したのか?

1919年にモンキー・グランドがロンドンで登場したことが解っていますが、1923年出版の「Harry of Ciro's ABC Of Mixing Cocktails」の著者であるハリー・マッケルホーン氏が創作したのだろうか?

パリの「Harry's New York Bar」で有名なマッケルホーン氏ですが、1919年にロンドンにおりました。

マッケルホーン氏は、1890年6月16日 。スコットランドのダンディーで生まれます。1911年にバーテンダーとしてのキャリアをスタートし、1915年にパリの「York Bar」に入店。第一次世界大戦中はアメリカへ移り、ニューヨークのプラザホテルなどで働きますが、第一次世界大戦後の1919年にはロンドンの「Ciro's Club」に移り、ここでバーテンダーとして名声を博し、1923年(初版は1921年のようです)に「Harry of Ciro's ABC Of Mixing Cocktails」にも繋がります。

1923年にはパリのYork Barを買収し「Harry's New York Bar」と改名しました。

モンキー・グランドやヨコハマ・カクテルは、マッケルホーン氏が Ciro's Club で考案したのではと想像します。


貨客船のバーで考案説なら?

横浜で考案された可能性は低く。1917〜1923年の日本の文献にヨコハマ・カクテルが発掘されておらず、日本発祥でないと思いますが、貨客船のバーで誕生した可能性も考える。

1885年郵便汽船三変会社と共同運輸会社が合併し「日本郵船会社」が誕生。

1920年前後に貨客船のバーで提供の可能性を考えると、日本郵船の欧州航路ではないでしょうか。

当時の欧州航路便は、横浜を出港し、神戸、上海、香港、シンガポール、コロンボ、スエズ、ポートサイド、ナポリなど経由し、ロンドン、アントワープ、ハンブルクなどの北欧諸港を結ぶ定期航路でした。

この航路便の役割は、貨客船としてヨーロッパへ輸出、輸入の物流動脈なのと、また外交官、商社マン、留学者、観光客等の移動手段でもありました。

 1910年頃までに活躍していた日本人バーテンダーの殆どが日本郵船会社に勤務していたと言われており、1920年代の日本のバーテンダーは、郵船バーテンダーとホテル・バーテンダーが大半でした。

1920年に東洋汽船会社(1896年から1960年まで存続した浅野財閥・安田財閥系の日本の海運会社。1926年に客船事業が日本郵船に合併)に在籍されて、日本バーテンダー協会(JBA)3代目会長・全日本バーテンダー協会(ANBA)初代会長であった室井良介 氏の著書にヨコハマ・カクテルが掲載されております。



そのレシピにはヴェルモット・ロッソが加えられており、ヨコハマ・カクテルの初期レシピなのかもしれないと想像もします。







2026/01/11

横浜で1950年代から飲まれているカクテル「珊瑚礁の彼方」

 本日は横浜で古くから飲まれているカクテル【珊瑚礁の彼方】のお話し。

1950〜60年代のハワイアン・ブームに横浜の一部のバーでは流行していたようで、現在少ないですが飲めるバーがあります。

1955年創業の野毛のバー「山荘」、1965年創業の鶴屋町の「横浜ロマンス(現在のカクテルホール・ロマンス)」などでも現在も提供されている。

それぞれレシピは異なりますが、共通して言えるのは、ロング・ドリンクで、赤、青、黄色の三色のレイヤー・スタイルのカクテルということ。

写真下は山荘さんの珊瑚礁の彼方。




下はカクテルホール・ロマンスさんの珊瑚礁の彼方。

下がバナナ・サワー、真ん中はブルー・キュラソー、上が赤ワインです。



横浜以外では見たことがなく、地元で愛される横浜ローカル・カクテルなのかもしれないです。

他のエリアで飲まれている情報があれば是非教えていただきたいです。




2026/01/08

バイオレット・フィズは日本生まれ?

 本日は【Violet Fizz / バイオレット・フィズ】のお話し。

フィズのベースをバイオレット・リキュールに置き換えたバイオレット・フィズの流行は1950年代後半からで、同時に「カカオ・フィズ」も登場する。

これは日本生まれのカクテルなのだろうか?

同名のカクテルは、アメリカでもっと古くから楽しまれていたようです。



1895年のバイオレット・フィズ

バイオレット・フィズに関する最も古い掲載は、おそらく1895年にGeorge Kappeler著の「Modern American Drinks」かと思われます。ここではSilver Fizzにラズベリー・ビネガーを加えたものと書かれています。



日本のカクテル本掲載で古いものですと、1924年の前田米吉 氏著の「コクテール」に「ヴアイオレット・フィズ」のレシピが掲載されておりますが、ラズベリー・ビネガーやバイオレット・リキュールが入手困難な材料であったのか?シルバー・フィズのようなレシピで紹介されています。



バイオレット・フィズはラモス・ジンフィズのアレンジ?

またラモス・ジンフィズのオレンジフラワー・ウォーターの変わりにバイオレット・リキュールに置き換えたバージョンも飲まれていたようで、スミレの花を飾った美しいカクテルであったみたいです。



その様子が1939年のチャールズ・H・ベイカー・ジュニア著「The Gentleman's Companion」に書かれていました。


アメリカのバイオレット・フィズと日本のものは別物?

30年以上前ですが、ほとんどのバーがバイオレット・リキュール・ベースのスタイルで作られる中、ジンベースのバイオレット・フィズをいただいたことがありました。レシピはジンフィズにパルフェタムールを加えたようなものと記憶しています。



日本に広く定着しているバイオレット・フィズは、クラシックなものとは異なり、ジン・フィズのローアルコール版として1950年代の日本で自然発生したレシピではないでしょうか?

ラモス・ジンフィズのバイオレット版が美味しかったので、只今おすすめしております^ ^

是非お試しくださいませ!

2026/01/06

2026年1月のおすすめカクテル「ハイ・ホース」

 High Horse

2026年最初のおすすめカクテル【ハイ・ホース】

ニューヨークのDeath & Co.のバーテンダー、Shannon Tebay Sidle氏が考案のカクテル。



レシピは、ダークラム、ヴェルモット・ロッソ、チェリー・ブランデー、キルシュ、アンゴスチュラ・ビターズです。

本日1月6日から今年の営業スタート。

2026年のカクテルバー・ネマニャもどうぞよろしくお願いいたします。