2026/07/31

今夜はヘルプさんと2人体制で23時までの営業となります。

 本日は17時から23時までの営業で、1時間早い閉店となります。ご了承下さいませ!

明日8月1日(土)は、臨時休業となります。

また今夜はヘルプの佐野 氏がシフト入りしております^ ^




皆様どうぞよろしくお願いいたします。

良い週末をお過ごしくださいませ

2026/07/27

神紅のミカド・カクテル

今年も島根の高品質な葡萄「神紅」が入荷いたしました!

全体収穫量の僅か8%の出荷しかない神紅ホワイトタグです。厳しい基準をクリアしており、糖度20度以上、紅色着き8割以上、一粒が15g以上で大きさは25mmです。

おすすめカクテルは【神紅のミカド】です。

 ミカドは、ジャパニーズ・カクテルの別名です。

コニャック、オルゲート・シロップ、ライム・ジュース、アンゴスチュラ・ビターズをシェークしたショート・カクテルです。

今回、上記レシピに神紅を加えて作り、神紅を飾り提供しております。





Japanese  Cocktail / ジャパニーズ・カクテルは、1860年に考案されたと言われています。

1860年はアメリカに最初の日本外交使節団を派遣した年です。この年の2月9日、使節団一行は米国政府が用意した軍艦「ポーハタン号」に乗船し、品川を出港。横浜港経由太平洋を横断してホノルルに立ち寄り、同年3月にサンフランシスコに到着します。1か月滞在後は、パナマ地峡を経由してワシントンD.C.へ向かい、そこで数多くの歓迎と祝賀を受けました。その後はボルチモアとフィラデルフィアを経由し、1860年6月16日にニューヨーク市に到着。

ジェリー・トーマス氏が、1862年の著書にレシピを紹介していることから、トーマス氏が 1860年に日本外交使節団を記念してジャパニーズ・カクテルを創作したと考えられています。


別名である「 Mikado  Cocktail」のカクテル名は、1895年の「Bartenders Guide」と「Bartenders’ Association of New York City: Official Hand-Book and Guide」に掲載されていることから、この年からの呼び名と思われます。


2026/07/20

日本のバー誕生の地 横濱の話㉒ 日本のバー文化の黎明期を支えた名バーテンダー「高橋顧次郎」 氏の話し

本日は、日本のバー文化の黎明期を支えた、戦前を代表する伝説的な名バーテンダー高橋顧次郎 氏のお話し。

高橋顧次郎(たかはし こじろう)氏。

日本バーテンダー 協会(JBA)の二代目会長で、横浜グランドホテルで唯一ルイス・エッピンガー氏と働いていたことがある日本人バーテンダーです。

横浜グランドホテルで修行し、バーテンダーとして頭角をあらわす。

横浜グランドホテルの支配人のルイス・エッピンガー氏と一緒に働いていたと言う高橋 氏。

ルイス氏は、1905年に横浜グランドホテルの支配人から退き、その後はマネージング・ディレクターとして務めますが、1907年6月14日、ルイス氏は77歳で他界します。

高橋 氏がいつから横浜グランドホテルに入社したかは、正確に解っていないのですが、1905年より前ではないかと思われます。ここではセカンド・バーテンダーを務めていました。



1912年(大正元年)には、名バーテンダーとなる浜田晶吾 氏が横浜グランドホテルに入社するので、高橋 氏は浜田 氏の大先輩になります。

横浜で有名なカクテル「ミリオンダラー」は、かつてシャンパンを使用したレシピであったようですが、1915年頃に高橋 氏と浜田 氏で、一般的に広めるものにしようとシャンパンを除外した処方にしたと言われています。 

高橋 氏は、1923年9月1日の関東大震災まで、横浜グランドホテルにいたと思われます。

戦前には銀座のレッドテープに移ります。

1929年(昭和4年)5月1日、東京・神田パリスにて日本バーテンダー 協会(JBA)の結成式が行われ、高橋 氏は発起人の1人となります。

JBA発起人15人は、荻野 直寿 氏、高橋 願次郎 氏、大阪 登章 氏、玉田 芳太郎 氏、田村 八十八 氏、浜田 晶吾 氏、浅倉 進次郎 氏、鈴木 豊松 氏、 室井 光江 氏、本多 春吉 氏    斉藤 武雄 氏    高橋 徳兵衛 氏、田村 清吉 氏、薄井 常雄 氏、伊藤 裕章 氏。

JBAの委員長(初代会長)には荻野 直寿 氏、副委員長に高橋 氏が選ばれ、JBA事務局が銀座に設置されました。

後に二代目会長には高橋  氏が選ばれます。