本日は日本初のバーテンダーとそのバーテンダーが経営したホテルなど関連した事を書きたいと思います。
日本にバーが誕生した159年前は、横浜は"ヨクハマ" とも呼ばれていました。
1862年5月のザ・ジャパン・パンチの表紙の絵の下にもYOKUHAMAと書かれています。
1860年2月24日にオランダのナッソウ(Nassau)号元船長であるC.J Huffnagel氏が日本家屋を改装してヨコハマ・ホテルを建てました。
下の御開港横濱大絵図二編外国人住居図に"オランダ五番ナツシヨウ住家"となっている場所(現在 かをり がある場所)がヨコハマ・ホテル。
ナツシヨウは、ホテルの経営者フフナーゲル氏のNassau号の事を指したもの。
下の御開港横濱大絵図二編外国人住居図に"オランダ五番ナツシヨウ住家"となっている場所(現在 かをり がある場所)がヨコハマ・ホテル。
ナツシヨウは、ホテルの経営者フフナーゲル氏のNassau号の事を指したもの。
ホテルの部屋は、どの部屋も小部屋で窓が無く、夜になればランプを灯し過ごす暗い部屋だった様で、宿泊客の夜の楽しみはバーで騒ぐ事と1ドルほど賭けて行われたビリヤードだったそうです。
フフナーゲル氏が採用したヨコハマ・ホテルの初代バーテンダーは、当時27歳の黒人。
イギリス国籍を持つジャマイカ人 JAMES B. MACAULAY(ジェームス B マコーレー)氏が日本初のバーテンダーとなりました。
バーでは、ワインやシャンパン以外にもポート、シェリー、マディラ、ブランデー、ジン、ウイスキー、ビールなどが卸され、それらがバーで楽しめました。
銘柄の充実から簡単なミックスドリンクはあったかも知れませんが、カクテルがサーブされた記録は未だ出て来ていないです。
当日のマコーレー氏は、ドリンクメイキングのプロではなくバーの管理者的な存在だったようで、オープンから8ヶ月でバーテンダーを辞めたといいます。
マコーレー氏は、ホテル開業の準備をしました。
1862年10月25日にヨコハマ・ホテルのバーテンダーであったジェームス・B・マコーレー氏(このホテルの経営時代は、トーマス・R・マコーレーと呼ばれる)が居留地86番に「ロイヤル・ブリティッシュ・ホテル」を開業。
当時のイギリス領事住居の向かい側に位置したホテルで、浴室ありの寝室、ビリヤード室、日本初かも知れないコーヒーハウスとボーリング場も出来ました。
家族連れや婦人が安心して宿泊出来るホテルを目指したためバーは設けなかったようですが、酒類の提供はしていたようで、ブランデー、ウイスキー、シェリー、ポート、ジン、リキュールの取り扱いがあったようです。
1864年3月にはリキュールでは、キュラソー、キルシュワッサー、シャルトリューズ、マラスキーノ、クレームド◯◯◯なども日本に輸入されていました。
下の絵の右上には、マコーレー氏が描かれています。
黒人であることが解ります。
1864年8月30日、開業から2年経たぬうちにこのホテルは廃業となります。
カーティス氏は、1869年まで経営し、1870年からトンプソン氏に1年契約で貸し出します。
下は1870年1月のザ・ジャパン・パンチの掲載記事の絵。
コマーシャル・ホテルが取り締まられています。
この建物の最後は、1871年1月5日に火災発生となり閉鎖します。
マコーレー氏は、ロイヤル・ブリティッシュ・ホテルが廃業した後の1864年末から馬車の貸し出しと仲買業を行い富を得た商人として"Baron Mc'Cauley(バロン男爵)"と呼ばれていた。
1873年7月24日、マコーレー氏は横浜を出港したP.&O.アヴォカ号に乗船し日本を去りました。