2020/02/01

日本のバー誕生の地 横濱の話⑨ インターナショナル・ホテル


今月24日で日本(横浜)にバーが誕生して160周年です!

横浜は日本の西洋野菜発祥の地とも言われております。
1862年にエドワード・ローレル氏がパセリの栽培をはじめ、1863年頃にはW・CURTIS(ウィリアム・カーティス)氏がラディッシュ、トマト、カリフラワー、レタス、キャベツ、じゃが芋、苺などいくつかの西洋野菜を初めて栽培したとされています。

ホテル王とも言われたカーティス氏は、インターナショナル・ホテルの経営者でもありました。

インターナショナル・ホテルは、日本のカクテルの歴史に大きな影響を与えたホテルでもあります。

1868年夏、横浜外国人居留地18番に518坪の本格的なホテル「インターナショナル・ホテル」が開業しました。



この年の8月には「築地ホテル」が江戸に開業した頃です。

1970年には横浜居留地にホテルが14軒。
急激に増え、前年に比べ倍に増えたといいます。

インターナショナル・ホテルは海岸沿いにあり、港の景色が一望できるホテルで、また日本最大級のビリヤード・ルームも完備しました。

1872年1月にボナ氏が共同経営者に加わり、ボナ氏の有名なレストラン「Sweetmeat Catstle」がインターナショナル・ホテル内に移転。

1873年に新たなグラント・ホテルがオープンするまでは、横浜を代表する最も有名なホテルでした。


1874年7月1日、インターナショナル・ホテルの経営権をカーティス氏からイギリス人の退役海軍大佐G.T.M PURVIS(パーヴィス)氏に譲りました。

グラント・ホテルは、インターナショナル・ホテルの2軒隣の居留地20番に建てられライバルホテルとなり犬猿の仲となってしまいました。
その様子はチャールズ・ワーグマ氏のザ・ジャパン・パンチに描かれていました。

下の風刺画左がパーヴィス氏、右は当時のグランド・ホテルのオーナー、W.H.スミス氏。



パーヴィス氏は、酒好きで酒に詳しく同年8月にBARを充実させました。

そしてこの年の9月からインターナショナル・ホテルは、ファンシー・ドリンク(カクテル)を本格的に売りにし大きくカクテル・ストーリーが動きだしました。

次回⑩は、パーヴィス氏について調べて書きたいと思います。