日本生まれのカクテル年表
平安時代のカクテル
●810年 【Kikuzake / 菊酒】
中国に起源がある「菊酒」。
平安時代の810〜857年には、中国の故事に習って、9月9日に「重陽の観菊宴」が宮廷で催され、第52代 嵯峨天皇が家臣に菊酒を振る舞ったといいます。
身体の中にある邪気を払い不老長寿を願って飲んでいたとされています。
発祥地は野生の菊が群生する石川県最大の河川である手取川流域の「鶴来(現在の白山市)」と言われる。
日本酒に菊花を浮かべたものから、日本酒に菊花を浸漬したもの、日本酒に菊水(菊花を浸漬した水)を加えて作られたものもあったようです。花札の絵に菊と酒盃がセットで描かれているのは「菊酒」を表現したもの。
● 811年 【Toso / お屠蘇】
中国の三国時代の名医・華佗が、災難厄除けのために生薬を調合して酒類に浸漬させた飲み物「屠蘇延命散」を考案。
日本には平安時代初期となる弘仁2年に中国の博士である蘇明が使者として朝廷を訪れた際に「屠蘇散(とそさん)」を嵯峨天皇に献上したのが始まり。日本では日本酒に屠蘇散を浸漬したものを「お屠蘇」と呼びました。
江戸時代には、一般庶民の正月行事の酒として定着し、江戸時代の中期になると、酒が苦手な人や女性が楽しむ甘いお酒としてみりんが人々に受け入れられるようになり、屠蘇散をみりんに浸漬して飲むようにもなりました。また、その土地ならではの特殊な酒類を使用する例もあり、熊本県では赤酒、鹿児島県では黒酒でお屠蘇をつくります。
屠蘇散のボタニカルは、甘草(かんぞう)、紅花(こうか)、桔梗(ききょう) 、浜防風(はまぼうふう) 、陳皮(ちんぴ)、茴香(ういきょう) 肉桂(にっけい)、 山査子(さんざし)、 山椒(さんしょ)、丁字(ちょうじ)の10種。
無病息災を願う薬草酒で、元日の午前中のおせちを食べる前に飲むのが正しいとされています。飲む順番は年少者から年長者へ、厄年の人は最後に飲むのがしきたりで、3回に分けて飲む 。
●816年 【Hannyatou / 般若湯】
般若湯とは、僧侶が用いた「酒の隠語」でもあります。816年頃に修行が厳しい和歌山県北部の高野山で弘法大師が修行僧に冬の寒さをしのぐために温かいお酒を一杯だけなら許すと言われた時のお酒という伝承があります。
般若湯は「智慧の湯」という意味が込められたもので、体を温める役割と、酒ではなくて智慧を得るための湯で、罪の意識なく飲むことが出来るものであったという。単に日本酒の冷酒や熱燗のことを指す隠語ですが、温かい日本酒に生姜、蜂蜜を加えたものもあったようです。
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江戸時代のカクテル
●1643年 【Tamagozake / 卵酒】
卵酒は1643年に、江戸時代の料理書「料理物語」15章に掲載されるカクテル。江戸時代に風邪薬や滋養強壮の飲み物として日本で広く飲まれました。冷酒 織部盃三杯(150ml程)、玉子 1個、塩 少しを溶きながら、少しずつ温める。
●1643年 【Imozake / 芋酒】
池波正太郎の時代劇「鬼平犯科帳」で、江戸の庶民が飲む酒として描かれている「芋酒」。
山芋とろろ160g、日本酒70ml、生姜すりおろし適量を混ぜて徳利に入れて温める。
●1780年代 【Tamawari / 玉割り】
江戸時代の中期から、酒屋で購入した酒をその場で楽しむ人達が増えたと言われます。酒屋に居続けて酒を飲む「居酒屋(角打ち)」で「玉割り」が提供されていたようです。
蔵元が出荷前にアルコール度数を調整するために水を加えることを「玉を利かす」と呼んでおり、このことから日本酒の水割りを「玉割り」と呼んだといいます。当時の日本酒原酒は、酸味が強く糖度が高いもので水で割ることで味わいにバランスをとり、低アルコールで飲むことが主流となった。玉割りは、日本酒原酒20度 1 :ミネラルウォーター 3で割りアルコール5%にしたものです。
● 1850年代 【Yanagikage / 柳陰 (本直し)】
粕取り焼酎と本みりんを半々で割り井戸で冷やし夏に飲まれていたもの。京都では「柳陰」、江戸では「本直し」と呼んだ。また大名にこのまれていたことから「大名酒」としても知られた。落語「青菜」に登場したり、1867年の第2回パリ万博に日本が出展した際に提供された日本の代表的なカクテルであった。
●1861年 【Miyozaki Highball / 港崎ハイボール】
1860年に横浜の沼地を埋め立て約15000坪の遊廓を建てました。この場所は港崎(みよざき)と呼ばれていたことから「港崎遊廓」と名付けられ、場所は現在の横浜スタジアムである。港崎遊廓最大の遊女屋は「岩亀楼(がんきろう)」と呼ばれた。
日本初となるハイボールの記録は、1861年に岩亀楼にて開催された英国守備隊主催の英国艦隊横浜入港歓迎会にて登場しました。
守備隊幹部達は岩亀楼の大広間に集まり、シガーを楽しみながらブランデー・ソーダを飲んでいたといいます。当時は港崎ハイボールとは呼ばれていない。
この時代のイギリスではブランデーのソーダ割りが人気で、ビクトリア朝時代のイギリスでは、ブランデーは心を癒し、ソーダは胃腸の調子を整えるとされておりブランデー・ソーダはシャンパン替わりとしても飲まれていました。
日本でハイボールが一般的に飲まれるのは早くても1890年代後半頃と思われます。
●1862年 【Arakichinda / アラキチンダ】
神奈川 作者不明。横浜開港見聞誌(1862年)に登場するアラキチンダ。時代背景からアラキはジュネヴァ、チンダはポートワインを指していると推測し、当時のマルチネスやマンハッタンのレシピは蒸溜酒の分量が少ないことからCocktail Bar Nemanjaではポートワイン2に対してジュネヴァ1をステアしてカクテルグラスに注いだものを提供している。
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明治時代のカクテル
●1882年 【速成ブランデー】
明治15年にみかはや銘酒店の神谷傳兵衛 氏が、輸入した酒類を原料にブレンドしたボトルカクテル「速成ブランデー」を造る。当時流行していたコレラの予防に効果があると噂になり、人気となったと言われています。速成ブランデーは、神谷 氏が27歳の時に考案し電気ブランの原形となるカクテル。
●1891年 【Bamboo / バンブー 】
横浜グランドホテルの支配人として招聘されたドイツ系アメリカ人でサンフランシスコ出身のLouis Eppinger(ルイス・エッピンガー)氏。横浜グランドホテルの新館全体の内装工事が終わった 1891年1月にエッピンガー氏が支配人に就任したことから Bamboo Cocktail(バンブー)は、早くても1891年にサーブされ始めたのではと推測します。
このカクテルは、ルイス氏が横浜に来られる前の1886年に、ニューヨークで流行している様子が新聞記事になっており、1886年9月11日カンザス 州の「 Western Kansas world., September 11」。1886年9月19日の「St. Paul daily globe., September 19」でレシピが掲載されており確認ができます。
ただニューヨークでのレシピは、ドライ・シェリー、ヴェルモット・ロッソ、オレンジ・ビターズをステアしたもので、ヴェルモットをドライに変更し提供をはじめたのは横浜からと思われる。
●1893年 【Denki Bran / 電気ブラン】
電気の供給会社「東京電灯会社」が設立された明治16年から神谷傳兵衛 氏が速成ブランデーのレシピを少しづつ改良し、1893年に「電気ブラン(初期は電気ブランデーと呼んでいた)」を発売させる。レシピは、グレープ・スピリッツ(薬用として売られていた輸入ブランデー)、ワイン、ジン、ヴェルモット、キュラソーをブレンドしたボトルカクテル。当日アルコールは45度であった。
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大正時代のカクテル
●1910年代前半 【Japanese Punch / ジャパニス・ポンチ】
1915年の書物にレシピが掲載されており、1924年刊行した前田米吉 氏著のカクテル本「コクテール」にも掲載される日本生まれのカクテル。レシピはホットグラスに、泡盛30〜60ml、ブランデー30ml、レモン・ジュース 1/2個分、角砂糖1個、温かい緑茶で満たす。
●1912年 【五色の酒】
五色酒には当時、亜米利加(アメリカ)、 佛蘭西(フランス)スタイルのレシピもあったようですが、材料が充分に揃わないことからオリジナルの五色酒があったようです。
大正元年、人気のプースカフェである五色酒を女性が飲んだことで非難された「五色の酒事件」がありました。
文芸雑誌「青鞜」社員である尾竹紅吉(おたけ べによし)氏が、広告の営業でバー「メゾン・ド・鴻ノ巣」に訪れた際に、五色の層状になった美しいプースカフェ・スタイルのカクテルを体験しました。
紅吉はこの出来事を雑誌のコラムに記載しましたが、新聞各社は紅吉が「五色の酒」を飲んだという事実を "新しい女、五色の酒を飲む" といった扇情的な見出しで報じました。当時女性の飲酒は常識から外れていると見なされたため、女性がバーでカクテルを楽しんだことを強く非難し、世間の話題となった事件となりました。
1913年 【ミリオンダラー 】
1913年に当時の横浜グランドホテルの支配人であるH.E.Manwaring(マンワリン)氏が、上海から持ち帰り横浜グランドホテルのバーのメニューに導入したカクテルであった様です。マンワリン氏は、1905年にアメリカからルイス エッピンガー氏の後任の支配人として招聘された人物です。マンワリン氏 が当時上海で流行していたカクテル「ミリオンダラー」 をAstor House Hotel(アスターハウス ホテル)で飲んだといいます。日本で提供されているレシピは、元のものを少しアレンジしたものと考えられます。
●1915〜1918年 【蜜柑のブロンクス】
1910年代に帝国ホテルに勤めていた秋田清六 氏がアレンジしたブロンクス。外国人からオーダーされたブロンクスでしたが、オレンジが無いために、蜜柑でアレンジして提供した。
秋田清六 氏は、1897年に生まれ、1910年(13歳)から丁稚奉公で京都ホテルで働きはじめ、1915年に帝国ホテルに移り、1918年9月に横浜グランド・ホテルに勤務先を移します。1959年に5人目のミスター・バーテンダーして表彰されます。
●1920年代前半 【Line Cocktail / ライン・コクテール】
鹿児島出身のバーテンダー前田米吉氏が27歳(1924年)の時に刊行したカクテル本「コクテール」。そのコクテールに掲載されているカクテルで、東京 四谷カフェー・ラインの前田米吉 氏 作と推測。
カフェー・ライン退職後の昭和初めには、銀座に酒類販売店を開業。洋酒の取り扱い他、ボトル・カクテルも販売していた。
●1920年代前半 【Ginza Strip / ギンザ・ストリップ】
1920年代に銀座ののバーで考案されたカクテルで、作者は不明である。レシピは、日本酒ベースのマンハッタンです。
●1922年 【Hatsukoi Fizz / 初戀フィズ】
カルピスが「初戀(はつこい)の味」というキャッチフレーズを添えて新聞広告に載せた大正11年に登場したカクテル。ジンフィズのシュガー無しに30mlのカルピス原液を加えたもの。別名「初恋」とも言い。現在では「First Love Fizz」と呼ばれることが多くなりました。
●1922 ~1923年頃 【Mt.Fuji / マウント・フジ】
創作時期は1922から1923年頃のようで、1924年には提供されていたことは間違いなさそうです。このカクテルは、帝国ホテルのチーフ・バーテンダーの大阪登章氏が考案。帝国ホテルの支配人である山口正造 氏作説もある。
●1923年 【Yokohama /ヨコハマ】
このカクテルは正確にいつ頃考案されたかは不明。
1917年のロシア革命以降のカクテルと推測しており、1923年の「Harry of Ciro's ABC Of Mixing Cocktails」にレシピが掲載されておりますので、この6年の間に考案されたと思われます。
1917〜1923年の日本の文献にヨコハマ・カクテルが発掘されておらず、日本発祥の可能性は低い気がいたします。
日本では貨客船のバーで考案されたとされたと伝えられ、日本の郵船バーテンダーが創作したのでは?と考えられてきました。
1920年に東洋汽船会社に在籍されて、日本バーテンダー協会(JBA)3代目会長・全日本バーテンダー協会(ANBA)初代会長であった室井良介 氏の著書にヨコハマ・カクテルが掲載されておりますが、そのレシピにはヴェルモット・ロッソが加えられており、ヨコハマ・カクテルの初期レシピなのかもしれないと想像もします。
また海外で誕生と考えると、とても似たカクテルに「モンキー・グランド」があります。このカクテルは、1919年にロンドンで流行していたことが解っており、モンキー・グランドにウォッカを加えたアレンジがヨコハマ・カクテルになったかもしれないです。
●1923年 【チェリー・ブロッサム】
1923年に創業した横浜のバー「パリ」の田尾多三郎 氏が考案したカクテル。カナディアン・クラブのキャンペーンのために創作したのがはじまり。カナディアンウイスキー、チェリーブランデー、ヴェルモットロッソ、マラスキーノなどで作られる。
お店が社交場として一番華やかだった戦前のカフェ・ド・パリ時代にカナディアン・クラブのキャンペーンをきっかけに創作したもので、1927年の世界カクテル・コンテストで優勝したカクテルでもあることを田尾多三郎氏の奥様の幸子様から聞いた事があります。
●1926年 【Prince Chichibu Cocktail / プリンス・チチブ・コクテール 】
1929年の秋山料理研究所の第4版となる「コクテール混合酒調合法」に掲載されるカクテルで、著者で宮内省(宮内庁)で主厨長であった秋山徳蔵 氏考案。
秩父宮雍仁親王殿下にちなんで名付けられたもので、1926年に秩父宮雍仁親王殿下がスイス・アルプス最高峰の一つであるマッターホルンに登頂され、日本山岳会やスキー連盟の総裁などを務めた功績から、国民的から親しみを持って通称「山の宮様/プリンス・チチブ」で呼ばれました。カクテルはこの時期に考案されたと推測しています。
ドライ・ジン1/2、ホワイト・キュラソー1/4、チェリー・ブランデー1/4、オレンジ・ジュース2tsp、オレンジ・ビターズ1ダッシュ、アンゴスチュラ・ビターズ1ダッシュをシェークして、ソーサー型シャンパン・グラスに注ぎ、オレンジ・スライス一枚を浮かべる。
別名「ヤング・プリンス・コクテール 」とも呼ばれていました。ヤング・プリンスは、殿下が1925年~1928年にイギリスのオックスフォード大学モードリン・カレッジに留学していた際に呼ばるていた愛称です。
また新しいスポーツや文化に熱心であったことから「Sporting Prince」としても知られ、帰国後は日本でラグビーやスキーを広めるなど「スポーツの宮様」としてスポーツ振興に尽力されました。
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昭和時代のカクテル
●1931年 【Sunday Cocktail / サンデー・コクテール】
1931年に開催された寿屋カクテル・コンテストの入選作品。作者は浜田晶吾 氏。
●1935年 【サンボア・ハイボール】
1934年12月に鍵澤正男氏が「中之島サンボア」を創業し、1935年に大阪市北区堂島に「堂島サンボア」が再開。
1935年には「サンボア・ハイボール」があったと言われます。サンボア・ハイボールの作り方は、氷無しの10オンスタンブラーに冷やしたウイスキー角を60ml注ぎ、冷やしたウィルキンソンの炭酸水1本分を一気に注ぎ、炭酸水を注いだ勢いで混ぜ合わせる。仕上げにレモンピールを絞る。
●1946年 【Kaikan Gin Fizz / 會舘ジン・フィズ】
東京會舘のチーフバーテンダー本多春吉 氏考案。1945年8月15日終戦。その年の12月に連合国軍最高司令官総司令部/GHQ の高級将校クラブとして接収された東京會舘は "American Club of Tokyo" と呼ばれ受託営業が始まりますが、12月は開設準備期間で休館しており、翌年1946年に「株式会社 東京會舘」と商号を変更し再出発。この年に會舘ジンフィズが誕生する。将校クラブとしては1952年まで重用され、その期間に東京會舘で最も飲まれていたカクテルでした。
●1946年 【TORYS Highball / トリス・ハイボール】
初代のトリス・ウヰスキーは、1919年(大正8年)に誕生していた。
海外からウイスキー原酒を購入しましたが、原酒が売り物にならないと判断し、赤玉ポートワインの樽に入れられて保管となった。数年後ウイスキーの様な仕上がりとなっていたことから、熟成原酒を加水し「トリス」と名づけて販売したといいます。ただ購入した原酒は果実酒を蒸溜したスピリッツで、現在の酒税法上の基準でブランデー扱いになるものだった。1946年に山崎蒸溜所製造のウイスキー原酒5%がブレンドされた一般向けの三級ウイスキー「トリス・ウヰスキー」が発売される。その後山崎蒸溜所ウイスキー原酒は10%の割合がに引き上げられて2級ウイスキーとして発売されている。
1950年に1に東京・池袋に「トリス・バー」一号店が開店し、戦後復興期に「トリス・ハイボール」が庶民に親しまれ、日本にウイスキー文化を広めるきっかけとなり、ハイボール・ブームとなる。
● 1948年 【Hoppy / ホッピー】
戦後は物資が不足し、ビールが高級品なため入手困難だったことから、ホッピービバレッジ株式会社の創業者である石渡秀氏がビールの代用品としてアルコール約0.8%のビールテイスト清涼飲料水「ホッピー」を開発。 1948年7月15日に東京・赤坂で製造販売が開始となる。この年から赤坂の闇市で安価な焼酎をいれて飲まれるようになり、粗悪な酒や焼酎を美味しく飲める割り材として支持が高まり「焼酎の割り飲料」の先駆けとして広く認知された。翌年の酒類自由販売解禁とともに更に広く知られました。ホッピーはグラス(15オンス)に氷無しで、キンミヤ焼酎25度 1(70ml)に対してホッピー 5(瓶1本 360ml)がベストな割合と言われている。
●1949年 【Shibuya Town / 渋谷タウン)】
渋谷バー門の創業当時からのオリジナルで、初代オーナーの深澤憲二 氏作。赤玉ポートワインをベースに、オタールVSOP、ヴェルモット・ロッソ、グレナデン・シロップ、ライム・コーディアルで作られるショート・カクテル。
●1949年 【Tennessee Waltz / テネシー・ワルツ】
昭和24年の雑誌「酒と音楽」でJBAの副会長であった長谷川幸保氏が発表したカクテル。ブラウン・カカオ・リキュール、グレナデン・シロップ、ソーダのロング・ドリンク。
●1949年 【チューハイ】
1949年5月7日に酒類自由販売解禁に伴い、日本政府が発令した飲食営業緊急措置令が廃止され、ビアホールや酒場が再開。東京都墨田区・葛飾区を中心と する下町の大衆酒場の店主らに より「焼酎ハイボール」が提供され「チューハイ」と呼ばれる。
●1949年 【Hois Highball / ホイス・ハイボール】
ホイスは1949年の飲食営業緊急措置令廃止後に、後藤商店が芝公園時代に開発した下町カクテル。焼酎3:ホイスの素2:炭酸水5の割合で作る。ホイスの名前の由来は、当時は高級品であったウイスキーをもじりホイスキーからきており、それを略して「ホイス」と命名したもの。
●1950年 【青い珊瑚礁】
1950年5月3日に開催された、JBA主催 第2回All Japan Drinks Concool コクテール部門1位の作品。鹿野彦司 氏作。この年のソフト・ドリンクス部門1位の作品は「ペアー・フラワー」で創作者は池田光明 氏でした。鹿野 氏は、1978年にミスターバーテンダー受賞。
●1950年 【若草フィズ】
1950年代に飲まれっていたことが確認されており、1949年製作のマーヴィン・ルロイ監督によるアメリカ映画「若草物語 Little Women」が日本で公開された1949年12月の翌年に考案されたと推測される。
ジンフィズに少量のグリーン、ミントリキュールを加えたもので、後に「Emerald Fizz」とも呼ばれました。またシンプルにグリーン・ミントリキュール・ベースのフィズのレシピもある。
またアメリカで1930年代から流行していた「Green Fizz」が日本で1950年から若草フィズの名で呼ぶようになった可能性もある。
●1951年 【スイート・オーサカ】
1951年に開催されたJBA主催 第3回All Japan Drinks Concool コクテール部門1位の作品。レシピはバカルディ・ホワイトラム 15ml、グランマニエ 15ml、ドライ・ヴェルモット 15ml、グレナデン・シロップ 5ダッシュ、レモン・ジュース 5ダッシュをシェークしてカクテル・グラスに注いだもの。この年のソフト・ドリンクス部門1位の作品は「ドナウ河のサザナミ」でした。
●1951年 【Koujo No Tsuki / 荒城の月 】
1951年 5月21日に東京の日本劇場で開催されたJBA.全日本コクテールコンクール 第1位の作品。ジン1/3、デリカワイン白1/3、レモンジュース1tsp、卵白1/2個分をシェークし、カクテル・グラスに注ぎ、鶉の卵黄1個分とグリーン・ミントリキュールを3ダッシュをドロップしたショート・カクテル。
●1950年代 【珊瑚礁の彼方】
横浜で古くから飲まれているカクテルで、1955年創業の野毛のバー「山荘」、1965年創業の鶴屋町の「横浜ロマンス(現在のカクテルホール・ロマンス)」で提供している。いずれの店舗のオリジナルではない。バナナ・リキュール30ml、レモンジュース30ml、シュガーシロップ20mlをシェークし、氷を入れたタンブラーに注ぎ、ソーダ 少量加え混ぜる。チェリー・ブランデーを15mlドロップし、ブルーキュラソーを15mフロートする。
●1952年 【TORYS Delight / トリス・デライト】
サントリーが推奨したトリス・ウイスキーベースのカクテル。レシピはトリス・ウイスキー1/2、赤玉ポートワイン1/4、ヘルメス・ドライジン1/4、ヘルメス・アロマティックビターズ 2滴をステアしてカクテルグラスに注いだもの。
● 1952年 【Ganso Shitamachi Highball /元祖下町ハイボール】
1952年に天羽飲料製造が焼酎に割るための甘味が無いリキッド「天羽の梅Aハイボール赤ラベル」の発売により下町カクテルの「元祖下町ハイボール」通称「(元祖ハイ)」が誕生し広く下町酒場で飲まれる。推奨の割合は、甲類焼酎2:天羽の梅Aハイボール赤ラベル1:炭酸水3の割合である。現在でははレモンスライスなど入れて楽しまれる。
●1953年 【Satsuki no Kaze / 五月の風】
1953年に銀座「馬車屋(後の鴻之巣)」の長谷川幸保氏が考案した抹茶入りのジンフィズ。
●1953年 【Kiss of Fire / キッス・オブ・ファイヤー】
1953年6月26日に名古屋の御園座で開催されたJBA主催の第5回 ジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品。作者は東京・銀座のバーテンダー 石岡賢司 氏。ソフト・ドリンク部門1位の作品は「ピンク・フラワー」でした。
カクテル名「キッス・オブ・ファイヤー」の由来は、1952年に米国でヒットしたジャズの王様Loius Armstrongの名曲「Kiss Of Fire」からとのこと。同年に日本でもカバー曲「火の接吻(Kiss Of Fire)」がヒットしていました。
レシピは、ウォッカ1/3、スロージン1/3、ドライ・ヴェルモット1/3、レモン・ジュース2ダッシュ。
シュガーリム(スノースタイル)したカクテルグラスに注ぐというもの。
考案者の石岡賢司 氏のお孫様の宇山祐二 (ジョニー)氏が経営する東京・学芸大学駅の近くにあるカフェ&バー「tricky's(トリッキーズ)」では、キッス・オブ・ファイヤーがシグネチャーとして提供されています。
●1954年 【ザ・ヒルトップ】
1954年創業、東京の山の上ホテルの「バー・ノンノン」のオリジナルカクテル。ウォッカ40ml、アッペル15ml、トリプル・セック10ml、レモン・ジュース15mlをシェークしてカクテルに注ぐ。もう一つの名物に建築家W・M・ヴォーリズ氏を称えるカクテル「ドクター・ヴォーリズ・リバイバル」がある。レシピは、バーボン35ml、コアントロー 15ml、オレンジジュース20ml、グレナデンシロップ1tsp、レモンジュース1tspをシェークしたショート。
●1954年 【フラワー・サントリー】
JBA主催の第6回 ジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品。
●1954年 【Aka / 赤】
赤は1954年に、京都市下京区二人司町のお好み焼き「やすい」で考案された京都の下町カクテルです。宝焼酎、赤玉ポートワイン、サイダーで作られる。別名「ばくだん」でも知られ、ばくだんのルーツでもあるカクテルです。
●1955年 【山荘カクテル】
1955年創業の横浜・野毛のバー「世界のカクテル 山荘」のシグネチャー・カクテルで創業当時から提供しているそうです。考案者は、台湾出身の初代オーナーバーテンダー黄野長康 氏。ドライ・ジン、グリーンミント・リキュール、レモンジュース、パインエード・シロップをシェークしたショート・カクテル。シュガー・リム(スノースタイル)は雪で、カクテルの緑色と浮かべたローレルで山を表現している。
●1956年 【Gold Fish./ ゴールド フィッシュ】
1956年 黒船祭ドリンクスコンクール 優勝作品。創作者は山形清春氏。ウォッカ3/4、ヴェルモット・ロッソ1/4、グリーン・ミント・リキュール2tsp、グレナデン・シロップ 1tspをシェークして、カクテルグラスへ注ぎ、レッド・チェリーを飾る。
●1956年 【Miss Kurofune/ミス・クロフネ】
1956年に開催された黒船祭ドリンクスコンクールの入賞作品。ブランデー50ml、グランマニエ10ml、グレナデン・シロップ1tspをシェークしたショート・カクテル。
●1956年 【Gin Lime / ジン・ライム】
1956年に銀座でバーテンダーをしていた馬田浩二 氏作。馬田 氏のジン・ライムはドライ・ジン60ml、ライムコーディアル15mlのロックスタイル。カットライムが絞られ入れられますが、これはフレッシュ・ライムが入手しやすくなってから加えられている。
●1956年 【Sasameyuki / 細雪】
寿屋・洋酒天国社共催 第1回ホーム・カクテル・コンクールでグランプリに輝いた作品。作者は京都の森川佳典 氏。クラッシュ・ド・アイスを詰めたロックグラスに、ドライジン30ml、グレープジュース45mlを注ぎ、かき混ぜる。エバミルク4tspをフロートさせる。
●1956年 【One More Cocktail / ワンモア・カクテル】
1956年12月中旬、上記と同じ大会が同年に2回開催されたようです。寿屋・洋酒天国社共催 第2回ホームカクテル・コンクールの優勝作品。創作者は東京の加藤幸男 氏。レシピはドライジン30ml、ホワイトキュラソー10ml、ドライ・ヴェルモット10mlをステアしてカクテル・グラスに注ぎ、レッドチェリーを飾る。レモンピールを絞る。
●1950年代後半 【Violet Fizz / バイオレット・フィズ】
フィズのベースをバイオレット・リキュールに置き換えたバイオレット・フィズの流行は1950年代後半からで、同時に「カカオ・フィズ」も登場する。
バイオレット・フィズに関する最も古い掲載は日本ではなく、おそらく1895年にGeorge Kappeler著の「Modern American Drinks」かと思われます。ここではSilver Fizzにラズベリー・ビネガーを加えたものと書かれている。
後にクラシックなバイオレット・フィズは、ラモス・ジンフィズのオレンジフラワー・ウォーターの変わりにバイオレット・リキュールに置き換えたバージョンとして人気が高まり、スミレの花が飾られる美しいカクテルだったようです。
その様子が1939年のチャールズ・H・ベイカー・ジュニア著「The Gentleman's Companion」に掲載されています。
日本のカクテル本掲載で最も古いものですと、1924年の前田米吉 氏著の「コクテール」に「ヴアイオレット・フィズ」のレシピが掲載されておりますが、パルフェタムールが入手困難な材料であったのか?シルバー・フィズのようなレシピで紹介されています。
日本に広く定着しているバイオレット・フィズは、クラシックなものとは異なり、ジン・フィズのローアルコール版として1950年代の日本で自然発生したレシピと思われます。
●1957年 【オーシャン・スペシャル】
1957年に開催されたJBA主催 All Japan Drinks Concool 男子ショートドリンクス部門1位の作品。この年の男子ロングドリンクス部門1位の作品は「天然の美」。婦人部ロング並びにショートドリンクス部門1位の作品は「ステンガラージン」でした。
●1958年 【Yukiguni / 雪国】
山形県酒田市の喫茶バー・ケルンの井山計一 氏作。1958年、寿屋・洋酒天国社共催 第3回全日本ホーム・カクテル・コンクール東北地区で3位に入賞。翌1959年の全国大会決勝でグランプリを獲得した作品。井山氏がコンクール受賞時のレシピは、ヘルメスウオツカ(100プルーフ) 30ml、ヘルメスホワイトキュラソー 15ml、トリスライムジュース 7mlをシェークし、上白糖でスノースタイルにしたカクテルグラスに注ぎ、ミント・チェリーを沈める。
●1958年 【南太平洋】
1955年創業の横浜・野毛のバー「山荘」のオリジナル・カクテルで、1958年の映画「南太平洋 (South Pacific)」にちなんだもの。当時働いていたバーテンダーが創作し名付けたもの。ウォッカ、ドライジン、ブルーキュラソーのショート・カクテルでレッド・チェリーが沈む。
●1959年 【Tokyo Tower / 東京タワー】
東京タワーが完成して間もない頃に創作されたカクテル。梅酒、グレナデンシロップ、ソーダのロング・ドリンク
●1960年 【Japanese Garden / ジャパニーズ・ガーデン】
1960年に大阪で開催されたカクテルコンペティションの優勝作品。レシピはドライ・ヴェルモット30ml、玉露リキュール15ml、日本酒15mlをシェークしたショート・カクテル。
●1960年代 【カミカゼ】
1960年代に横須賀で飲まれていたと聞いたことがあります。その頃はウォッカに少量のコーディアルライムを加えたショットであった様で、飲めば帰って来れなくなるショットと言われ、神風特攻隊を彷彿とさせたことからのネーミングとされる。
●1960年代 【レモン・サワー】
1958年創業の中目黒の「もつ焼き ばん」の創業者である小杉正 氏が考案したもの。1958年は東京タワーが建設されるなど高度経済成長期となり、生のレモンが入手しやすくなったことで、60年代に入りお店のタンチュー(チューハイ)に生のレモンを絞って入れたレモン・サワーを名物ドリンクとして発案。
●1962年 【Siberian Tool Kit / シベリアン・ツール・キット】
1962年にJimmy Stockwell (ジミー ストックウェル)氏が、横浜・本牧のイタリアン・ガーデン(現在のIG)で考案したカクテル。現在のIGに名前を変更したのは1997年で、その35年前にシベリアン・ツール・キットが創作されている。このカクテルはカナダのエッグノグと呼ばれた「Moose Milk」を簡単なアレンジしたものと思われる。レシピは、ウォッカ、カナディアン・クラブ、カルーア、バニラアイス、クリームで作られる。
ジミー氏は、1960年に軍に入隊し、厚木基地に配属となる。軍人時代は親戚が経営していた本牧のイタリア・ガーデン(現在のIG)でアルバイトをしていました。イタリアン・ガーデンの2代目オーナーであるハリー・コーベット氏(1958年〜1965年)の時代にジミー氏はマネージャーを務めていた経験もあります。1960年代後半に戦争中のベトナムへ赴き、72年に横浜へ戻り、横浜中華街にWindjammerを開店させる。
●1963年 【ライジング・サン】
1963年の調理師法施行10周年記念カクテル・コンクール厚生大臣賞受賞作品。創作者は今井 清 氏。
レシピは、テキーラ30ml、シャルトリューズ・ジョーヌ20ml、コーディアル・ライム10mlをシェークして、ソルト・リムしたカクテル・グラスに注ぎ、スロージンを1tspドロップし、レッドチェリーを沈める。
●1964年 【マイ東京】
1964年に東京五輪を記念してサントリーが主催したカクテルコンクールの特選受賞作品。創作者は上田芳明氏。このサントリーカクテルコンクールは、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州の7ブロックに分けて、それぞれのブロック大会をおこない、翌1965年1月22日に全国決勝が開催されました。ベースは角瓶、オレンジキュラソー、トリスライムジュースを加えシェーク。グラスの縁をシュガーリム(スノースタイル)にしたもの。
●1964年 【Sun To Mexico/サン・トゥー・メキシコ 】
1964年 東京五輪記念 サントリー カクテルコンペティション 優勝作品となっていますが、上記のマイ東京がグランプリを獲得した同大会であれば、どこのブロック予選の優勝作品の可能性もあります。レシピはブランデー30ml、クレーム・ド・カカオ30ml、コカコーラ適量をピルドで作るロングドリンク。
●1964年 【Apollo / アポロ】
横浜・曙のアポロのオリジナル・カクテルで創業当時から提供している。ウォッカ、ウゾ、グレナデンシロップなどで作られるショート・カクテル。創作者はオーナー・バーテンダーの石原清司(チャン)氏。
●1964年 【Last Kiss / ラスト・キッス】
1964年にJ・フランク・ウィルソン&ザ・キャヴァリアーズがカバーした曲「Last Kiss」が大ヒットした際に誕生した日本のカクテルと推測される。
主に2種のレシピで定着しており、1つ目はホワイト・ラム45ml、コニャック1/2tsp、レモン・ジュース1/2tspをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。2つ目はホワイト・ラム30ml、ドライ・ジン15ml、コニャック1/2tsp、ドライ・ヴェルモット1/2tsp、レモン・ジュース1/2tsp、シュガー・シロップ1/2tspをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。
●1966年 【ブルドッグ】
1966年冬に鎌倉のMike's Barの榊原直哉(通称マイク)氏がウォッカのグレープフルーツ割りに「ブルドッグ」と名付けた。レシピは氷を入れたロック・グラスに、ウォッカ50度 60ml、フレッシュ・グレープフルーツ・ジュース 90mlをビルドしたもの。
●1967年 【スカイダイビング】
1967年に開かれたANBA 主催のカクテル・コンペティションの優勝作品。作者は大阪の渡辺義之氏。
●1967年 【京都の夜】
1967年のヒット曲、愛田健二氏の「京都の夜」という曲の発表と共に創作されたカクテルと考えられている。少なくとも70年代までは流行していた。
●1967年 【Mr.K / ミスター・ケー】
1967年にスペインで開催されたIBAインターナショナル・カクテル・コンペティション最優秀技術賞受賞作品。創作者は澤井慶明 氏。レシピはコニャック20ml、ガリアーノ20ml、フレッシュ・クリーム20mlをシェークしてカクテル・グラスに注ぎ、カカオパウダーで「K」の文字を描く。
1968年 【Century Cocktail / センチュリーカクテル】
1968年ANBAカクテル・コンペティション 優勝作品。レシピはコニャック45ml、シャルトリューズ・ジョーヌ15ml、レモン・ジュース2ダッシュをステアしてカクテル・グラスに注ぐ。レモンピールを絞る。
●1968年 【Gastou / ガストウ】
1968年 横浜明治100年記念 カクテル・コンペティション アマチュアの部 優勝作品。創作者は椿山啓史氏。ウォッカ2/5、バイオレット・リキュール1/5、ホワイト・キュラソー1/5、ライム・コーディアル1/5をシェークしたショート・カクテル。
●1960年代後半 【ブルーライト・ヨコハマ】
1960年代後半に横浜のカクテルバー・パリの田尾多三郎 氏が考案したカクテル。1968年12月、いしだあゆみの26作目のシングルとして発表された大ヒット曲「ブルーライト・ヨコハマ」より先にカクテルが創られている。当時の川崎の工場群が紫っぽいような、青白いような光が海に照り返っており、ブルーライト・ヨコハマのネーミングはそこから生まれたと言われます。
レシピは、ウォッカ30ml、ブルーキュラソー15ml、フレッシュ・レモンジュース15mlをシェークしてカクテル・グラスに注ぎ、レッドチェリーを沈めたもの。またバイオレット・リキュールを使用するレシピもあり、初期のものか、同名の違うものなのかは謎である。1969年に発売となった「ブルー・ライト・ヨコハマ」を収録した、テナーサックス奏者の山本こうぞうのLPレコードのジャケットは紫のイメージで、紫色らしきカクテルが写る。これはバイオレット・リキュール版のブルーライト・ヨコハマなのだろうか?川崎工場群が紫っぽいとの表現もあるので紫のブルーライト・ヨコハマがあってもおかしくないでしょうか。
●1969年 【Indulgence / インダルジャンス】
1969年に東京會舘で開催されたカクテルコンクールでの優勝作品で、創作者は菊池国和 氏。レシピは、ウォッカ1/2、シャルトリューズ・ジョーヌ1/3、ライム・コーディアル1/6をステアしてカクテル・グラスに注いだもの。
.●1970年 【サン・エキスポ】
大阪万博で開催された日本バーテンダー協会(JBA)主催による「EXPO’70 世界コクテールコンクール」のロング・ドリンクス部門グランプリ、です。コンクールの応募は、国内約9000件、海外20数カ国から10000件余りの応募があり本選には30人にが選ばれました。グランプリは神戸「 SAVOY 」の小林省三 氏。ショート・ドリンク部門銀賞は「エキスポ・カーニバル」、ロング・ドリンクス部門銀賞は「エキスポ70」が選ばれました。
●1971年 【Hermes / ヘルメス】
1971年に東京で開催された第12回IBAインターナショナル・カクテル・コンペティション準優勝作品。 創作者は今井清氏。レシピはテキーラ30ml、クレームドウメ20ml、ライムジュース10ml、アニゼット 1tspをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。
●1972年 【ジャック・ター】
1972年に横浜中華街のバー「ウィンドジャマー(Windjammer)」のオーナー、ジミー・ストックウェル氏が考案したカクテル。初期のレシピは材料が4つで、ロンリコ151ラム、サザンコンフォート、コーディアル・ライム、クリーミーヘッド(アルブミナ のようなパウダー)をスピンドルミキサーにかけてクラッシュドアイスを詰めたロックグラスに注ぐ。カットライムをグラスの縁に飾り、シップスティック・ストローを添える。クリーミーヘッドは、ジャック・ター全体のアルコール濃度が高いため乳化しないことから外され、現在のレシピとなっている。
●1972年 【Sapporo / サッポロ】
札幌「BAR やまざき」の山崎達郎 氏が1972年札幌オリンピック開催に合わせて考案したカクテル。
1981年ジュネーブで行われた国際カクテルコンクールで特別賞を受賞した作品でもあります。
●1973年 【カフェ・ド・トーキョー】
1973年ANBAカクテルコンペティション優勝。第13回ICC国際大会第3位の作品。作者は吉田貢 氏。
●1973年 【Bacardiano / バカディアーノ】
第2回 HBC創作カクテルコンペティション 優勝作品。創作者はホテルオークラの若松誠志 氏。
レシピは、バカルディー・ホワイトラム 40ml、ガリアーノ 1tspグレナディン・シロップ 10ml、レモン・ジュース 10mlをシェークしてカクテルグラスに注ぎ、レッド・チェリーをグラスの縁に飾る。
●1973年 【Moonlight Akasaka / ムーンライト・アカサカ】
第2回 HBC創作カクテルコンペティション準優勝作品。創作者は赤坂東急ホテルの木原均 氏。
レシピは、ホワイト・ラム35ml、パルフェ・タムール20ml、レモン・ジュース15mlをシェークしてシュガー・リムしたソーサー型シャンパン・グラスに注ぎ、月に見立て小菊の花を浮かべる。
●1973年 【Breeth and Eye / ブリーズ・アンド・アイ】
1973年のANBA創作カクテル・コンペティション創作一位の作品。創作者は長谷川清 氏。レシピはウォッカ40ml、ドライ・ヴェルモット10ml、パルフェタムール10mlをシェークしたショート・カクテル。
●1976年 【Scaret Lady / スカーレット・レディ】
第5回HBC創作カクテルコンペティション 優勝作品。創作者は、パレスホテルの久保木 康雄 氏。
レシピは、バカルディーホワイトラム 15ml、カンパリ 15ml、マンダリンリキュール 15ml、レモンジュース 15ml、マラスキーノ 2tspをシェークしてカクテル・グラスに注ぎぐ。グラスの縁にオレンジ・ピールを飾る。
●1976年 【シクラメン】
国内でテキーラ・ベースのカクテルで有名になったこのカクテルは、第5回 HBC創作カクテル・コンペティション第3位入賞作品で、創作者は東京の京王プラザホテルの井上訓一 氏である。テキーラ1/2、コアントロー 1/6、フレッシュ・オレンジジュース1/6、フレッシュ・レモンジュース1/6、グレナデンシロップ1tspをシェークして、カクテルグラスに注ぎ、レモンピールを絞る。創作者は中川訓一 氏で紹介され、グレナデンはドロップしたレシピで作られたりもしますが、これは稲 保幸 氏著の「洋酒とカクテル入門」に記載されている内容からと思われる。
●1976年 【プレリュード・フィズ】
カルピスを使用した有名カクテルの一つで、第5回 HBC創作カクテル・コンペティション第5位入賞作品。創作者は、東京エアーターミナルホテルの宮崎幸一 氏。
カンパリ 30ml、カルピス原液 20ml、レモン・ジュース 10ml、ソーダ・ウォーターFill。
ソーダ以外をシェークして、氷を入れたロック・グラスに注ぎ、ソーダ・ウォーターで満たす。レモン・スライスをグラスの縁に飾る。
1977年 【Sweet Pea / スイート・ピー】
全日本バーテンダー協会(ANBA)主催のカクテル・コンペティションの優勝作品。創作者は佐藤謙一 氏。レシピはポーズ・オールド・トムジン30ml、ホワイトキュラソー10ml、フレッシュ・オレンジジュース60ml、フレッシュ・レモンジュース、シュガー・シロップ10mlシェークして5ozゴブレット・グラスに注ぐ。
●1980年 【ピュア・ラブ】
1980年に開かれたANBA カクテル コンペティションの優勝作品。作者は上田和男 氏。
●1980年 【ソル・クバーノ】
神戸市「サヴォイ北野坂」の木村義久氏が考案、1980年第1回サントリー・トロピカルカクテル・コンテストでグランプリを受賞。ホワイトラム、フレッシュ・グレープフルーツ、トニックウォーターのロングカクテルで、グラスの縁にグレープフルーツ・スライスを載せて、ミントの葉を飾り、ストローを添える。
●1980年代前半 【Yellow Man / イエローマン 】
1987年代前半に横浜ケンタウロスの族長である飯田繁男 氏が考案し、中華街のウインドジャーマーの当時の店長である浅羽 氏が仕上がりを監修され横浜中のバーに広まったものです。飯田 氏にお伺いしたところロンリコ151ラム45ml、フレッシュ・グレープフルーツ・ジュース45mlのロング・ドリンクとのこと。グラスは8ozタンブラー又はロック・グラス。
●1981年 【Crossover Love / クロスオーバー・ラブ】
このカクテルは昭和のスター、石原裕次郎 氏の為に赤坂エクセルホテル東急のバーテンダー木原均 氏が考案したもので、石原裕次郎氏がシングル曲(1978年に発売)「クロスオーバー・ラブ」のタイトルをカクテル名として命名した。レシピは、コニャック40ml、オレンジキュラソー15ml、フレッシュレモンジュース 10ml、グレナデン・シロップ5mlをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。グラスの緑にレッド・チェリーを飾る。
●1981年 【照葉樹林】
照葉樹林は、1981年に「サントリー烏龍茶」が新発売された際に福西英三氏と花崎一夫氏が共同でレシピ開発されたもの。グリーンティー・リキュール30〜45ml、烏龍茶 適量のロング・ドリンク。
●1981年 【グリーン・ファイヤー】
1931年創業の大阪・難波「吉田バー」。創業50周年を記念して2代目オーナーバーテンダー吉田芳二郎氏が創作したカクテル。レシピはウォッカ7にシャルトリューズ・ヴェール3をシェークしたショートカクテル。
●1981年 【Maruru / マルルウ】
1981年のサントリー・トロピカル・カクテル・コンクールで第1位に輝いたカクテル。
創作者は、銀座の名門バー「絵里香」の中村健二 氏の作品。
レシピはメロン・リキュール、ウォッカ、パイナップル・ジュース、レモン・ジュース、ココナッツ・ミルク。メロン、ライム、季節の花で彩ります。
●1982年 【バーニング・ハート】
第11回HBA創作カクテルコンペティション優勝作品。創作者は、ホテルニューオータニの 阿部修夫 氏。
レシピは、ホワイト・ラム2/4、桂花陳酒1/4、グランマニエ 1tsp、アプリコットプランデー1/4、 グレナディンシロップ1tspをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。レモンピールを絞る。
1980年代前半 【Francis Albert / フランシス・アルバート】
1972年創業の東京・神宮前のバー・ラジオの尾崎浩司 氏作。バー・ラジオのオリジナル・カクテルで最も有名になったシグネチャー・カクテルです。タンカレー・ジンとワイルドターキー8年を1:1をステアしてカクテル・グラスに注いだもの。
●1980年代 【チャイナ・ブルー】
富山県富山市にある「BAR 白馬舘」の2代目オーナーバーテンダー・内田信也 氏によって考案。
●1982年 【吉野】
1982年に考案された毛利隆雄 氏のシグネチャー・カクテルの一つ。1983年に開催されたANBAカクテル・コンペティション関東大会二位の作品。レシピはウォッカ60ml、キルシュワッサー1tsp、グリーンティー・リキュール1tspをステアしてカクテル・グラスに注ぐ。塩抜きした桜花の塩漬けを沈める。
●1983年 【Shade of Tree / シェイド・オブ・ツリー(緑陰)】
1983年のANBAカクテル・コンペティション ショート部門一位の作品。創作者は宮内誠 氏。レシピはホワイトラム25ml、ミドリ・メロンリキュール15ml、ブルーキュラソー10ml、サザンカンフォート1tsp、レモン・ジュース1tspをシェークしてカクテルグラスに注ぐ。レッドチェリーを沈める。
1983年 【シークレット・ラブ】
1983年のサントリー・トロピカル・カクテル・コンテストのグランプリ作品。創作者は北村聡 氏。
●1984年 【オータム・リーブス】
1984年に開催されたサントリー・カクテル・コンペティションのグランプリ受賞作品。作者は大庄司雅彦 氏。
●1988年 【5517】
銀座三笠本館 BAR 5517のオリジナル・カクテル。1988年に5517のチーフ・バーテンダー稲田春夫 氏作。レシピは、ドライジン30ml、ミドリ・メロンリキュー15ml、フレッシュ・ライムジュース15ml、ホワイト・ミントリキュール2ダッシュをシェークしてカクテル・グラスに注ぐ。ミントの葉を浮かべる。
5517のオリジナルには他に、ドライ・ジン、シャルトリューズ・ヴェール、ライム・ジュースの「5517 No.1」、アルマニャック、オレンジ・ジュース、レモン・ジュースの「5517 No.2」、ドライ・ジン、ドライ・シェリー、アイリッシュ・ミストの「ザ・ギンサ」などがありました。
●1880年代後半 【スプモーニ】
スプモーニは、サントリーがカンパリ販促のために創作したカクテルで、当時イタリア発と紹介した。
●1986年 【Gold Rush / ゴールド・ラッシュ】
1986年に大分のクリフォード・クラブで考案されたカクテル。レシピはアクアヴィット30ml、ドランブイ20mlを氷を入れたロック・グラスに注ぎかき混ぜる。
●1988年 【プリンセス・ダイアナ】
1988年に横浜・石川町のSoul Bar Motown のオーナー・バーテンダー芦田 守史 氏が考案したカクテル。カシス版のスプモーニのようなカクテル。
●1980年代後半 【シーガル】
1966年開業の八戸グランドホテル10階Constellationのオリジナル・カクテル。レシピはホワイト・ラム30ml、ガリアーノ10ml、ピーチツリー10ml、フレッシュ・クリーム10mlをシェークしカクテル・グラスに注ぎ、ブルーキュラソー1ドロップし、レッドチェリーをグラスの縁に飾ったカクテル。
●1988年 【サンタモニカ・ピーチ】
1988年に青森県十和田市発祥のカクテルで考案者不明。サンタモニカピーチを十和田に広めたことで知られるBAR新和三の岩渕寛宣 氏にお話しを伺ったところ、ピーチツリーが正規輸入される前の1986年にピーチツリーを手にしていたそうです。
その当時、ピーチツリーのボトルネックにつけられていたものにおすすめのカクテルがいくつか書かれており、その一つのレシピにピーチツリーの紅茶割りにカットレモンのレシピがあったそうです。
1987年にピーチツリーが日本に正規輸入となり、シンビーノ・ジャワティストレートが1988年に輸入がはじまりました。
1988年に十和田で流行っていたピーチツリーの紅茶割合はジャワティ割りへと替わり、カクテル名が「サンタモニカ・ピーチ」となりました。
レゲエ・パンチに似たカクテルですが、レゲエ・パンチより先に考案されている。
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平成時代のカクテル
●1990年 【ロリータ】
1990年に東京都新宿区荒木町にあるバー・ピガールの内山浩 氏が雑誌の取材のために考案したカクテル。ドライジン30ml、ピーチリキュール、15ml、フレッシュ・ライムジュース15mlをシェークして、カクテル・グラスに注ぐ。レッド・チェリーを沈めるてライム・ピールを絞る。
●1990年 【インディアン・デスロック】
インディアン・デスロックは、横浜・石川町にあったラコタ(Dakota)で1990年6月頃に石山照満 氏が考案者したカクテルです。
ラコタが女性誌の取材を受けることになり、名物カクテルを作ろうと創作したもの。
石山 氏は、プロレス好きとの事もあり、カクテル名はプロレス技名から着想しましたが、カクテル名のスペルは「Indian Death Rock」で、技の固の"Lock"ではなく、岩を意味する"Rock"にアレンジしている。
インディアンは、死者の魂が石となると信じており、カクテル名は「インディアンの死の石」を採用したとのこと。
正しいレシピは以下です。
スピリタス 15ml、カシス・リキュール 15ml、コアントロー 15ml、レモン・ジュース 15ml、トニック・ウォーター 30ml、トニック・ウォーター以外をシェークして、クラッシュアイスを詰めたロックグラスに注ぎ、トニックウォーターを加えビルド。カットレモンを絞って落とすまでが基本レシピ。
●1990年 【デビュタント】
1990年、ICCメキシコ世界大会のプレ・ディナー部門優勝作品。創作者は、愛媛県松山のCocktail Bar Manhattan森康成 氏。
●1990年代半ば 【シンデレラ・ハネムーン】
ディタのプロモーションで考案されたと思われ、1996年に注目を集めていたカクテル。
●1993年 【Arcadia / アルカディア】
1993年の第1回フィンランディア・ウォッカ国際ドリンク・コンペティションのデザートドリンク部門の優勝作品。創作者は新橋清 氏。
フィンランディア・ウォッカ、ミドリ・メロンリキュール、カルーア、フレッシュ・クリーム、卵黄をシェークてカクテルグラスに注ぎ、チョコレートチップとミントの葉を浮かべたもの。
●1997年 【Augusta 7 / オーガスター・セブン】
1977年に大阪・梅田のバー「オーガスタ」のオーナー・バーテンダーである品野清光 氏のオリジナルカクテル。品野 氏の7番目の創作カクテルということで「7」が付けられました。レシピは、パッソア45ml、パイナップル・ジュース90ml、フレッシュ・レモンジュース15 mlをシェイクして、氷を入れたコブレットに注ぐ。
●1998年 【J.Q. King / ジェー・キュー・キング】
このカクテルは1998年、横浜中華街の名店「Cocktail Lounge GREAT WALL」の陳学升 氏が横浜市公式カクテルとして当時創られたカクテルです。レシピは、ホワイトラム 20ml、ミドリ 15ml、クレーム・ド・バナナ 5ml、グレープフルーツジュース 40mlをシェークして、カクテル・グラスに注ぐ。カクテル名は、横浜三塔の愛称であるジャック、クイーン、キングが名前の由来です。
●1998年 【ハバティーニ】
東京・銀座「MORI BAR」の毛利隆雄氏のスタイルの「ジャマイカン・マティーニ」で1998年頃に創作された。カクテル名は2005年「ハバナ・マティーニ」に改名され、現在は略して「ハバティーニ」と呼ばれる。
レシピはハバナ・クラブ7年 60ml、ドン・ソイロ・フィノ 1tsp、オレンジ・ビター 1dashをステアして氷を入れたロック・グラスに注ぐ。レモン・ピールを絞り、オリーブを飾る。
●1998年 【ライディーン 】
1998年夏より横浜スカイビル1階の「マルソウ」でフレア・バーテンディングのショーと共に提供しはじめたカクテルで、日本のフレア・バーテンダー黎明期を盛り上げたカクテルです。
同年にNBA銀座オープン・フェスティバルに出品し、大会でフレア・バーテンディングを披露と共に作成し優勝作品となる。以来20年間、北條智之のシグネチャー・カクテルでもありましたが、2018年8月を最後にフレア・ショー引退と共に提供を終える。
レシピは、ピーチ・リキュール30ml、ロンリコ151ラム15ml、メロン・シロップ15ml、グレープフルーツ・ジュース90mlをシェークして、氷を入れたコリンズ・グラス(大会当日はマティーニ・グラス)に注ぐ。
●1998年 【博多スリング】
1998年にレストラン・トレーダー・ビックス博多店オープンを記念して考案されたカクテル。創作者は飯田聡 氏。レシピは焼酎・紅乙女ゴールド 1oz、チェリーブランデー1/4oz、コアントロー 1/4oz、ベネディクティン・トム1/4oz、グレナデン・シロップ1/4oz、パイナップル・ジュース60ml、ライム・ジュース3/4ozをシェークし、クラッシュ・ド・アイスを詰めたコリンズ・グラスに注ぐ。ミントの葉とストロー、博多人形を飾る。









































