2025/10/01

日本生まれのカクテル 年表

● 1850年代 【Yanagikage(柳陰 / 本直し)】 

粕取り焼酎と本みりんを半々で割り井戸で冷やし夏に飲まれていたもの。京都では「柳陰」、江戸では「本直し」と呼んだ。


●1861年 【Miyozaki Highball(港崎ハイボール)】

1860年に横浜の沼地を埋め立て約15000坪の遊廓を建てました。この場所は港崎(みよざき)と呼ばれていたことから「港崎遊廓」と名付けられ、場所は現在の横浜スタジアムである。港崎遊廓最大の遊女屋は「岩亀楼(がんきろう)」と呼ばれた。

日本初となるハイボールの記録は、1861年に岩亀楼にて開催された英国守備隊主催の英国艦隊横浜入港歓迎会にて登場しました。

守備隊幹部達は岩亀楼の大広間に集まり、シガーを楽しみながらブランデー・ソーダを飲んでいたといいます。当時は港崎ハイボールとは呼ばれていない。

この時代のイギリスではブランデーのソーダ割りが人気で、ビクトリア朝時代のイギリスでは、ブランデーは心を癒し、ソーダは胃腸の調子を整えるとされておりブランデー・ソーダはシャンパン替わりとしても飲まれていました。


●1862年 【Arakichinda(アラキチンダ)】 

神奈川 作者不明。横浜開港見聞誌(1862年)に登場するアラキチンダ。時代背景からアラキはジュネヴァ、チンダはポートワインを指していると推測し、当時のマルチネスやマンハッタンのレシピは蒸溜酒の分量が少ないことからCocktail Bar Nemanjaではポートワイン2に対してジュネヴァ1をステアしてカクテルグラスに注いだものを提供している。



●1882年 【速成ブランデー】

明治15年にみかはや銘酒店の神谷傳兵衛 氏が、輸入した酒類を原料にブレンドしたボトルカクテル「速成ブランデー」を造る。当時流行していたコレラの予防に効果があると噂になり、人気となったと言われています。速成ブランデーは、神谷 氏が27歳の時に考案し電気ブランの原形となるカクテルとなります。

●1893年 【Denki Bran(電気ブラン)】

電気の供給会社「東京電灯会社」が設立された明治16年から神谷傳兵衛 氏が速成ブランデーのレシピを少しづつ改良し、1893年に「電気ブラン」を発売させる。レシピは、グレープ・スピリッツ(薬用として売られていた輸入ブランデー)、ワイン、ジン、ヴェルモット、キュラソーをブレンドしたボトルカクテル。当日アルコールは45度であった。



●1920年代前半 【Line Cocktail(ライン・コクテール)】 

鹿児島出身のバーテンダー前田米吉氏が27歳(1924年)の時に刊行したカクテル本「コクテール」。そのコクテールに掲載されているカクテルで、東京 四谷カフェー・ラインの前田米吉 氏 作と推測。

カフェー・ライン退職後の昭和初めには、銀座に酒類販売店を開業。洋酒の取り扱い他、ボトル・カクテルも販売していた。


●1920年代前半 【Ginza Strip(ギンザ・ストリップ】

1920年代に銀座ののバーで考案されたカクテルで、作者は不明である。レシピは、日本酒ベースのマンハッタンです。



●1922 ~1923年頃 【Mt.Fuji(マウント・フジ)】

創作時期は1922から1923年頃のようで、1924年には提供されていたことは間違いなさそうです。このカクテルは、帝国ホテルのチーフ・バーテンダーの大阪登章氏が考案。帝国ホテルの支配人である山口正造 氏作説もある。



●1923年 【チェリー・ブロッサム】

1923年に創業した横浜のバー「パリ」の田尾多三郎 氏が考案したカクテル。カナディアン・クラブのキャンペーンのために創作したのがはじまり。カナディアンウイスキー、チェリーブランデー、ヴェルモットロッソ、マラスキーノなどで作られる。


●1931年 【Sunday Cocktail(サンデー・コクテール)】

1931年に開催された寿屋カクテル・コンテストの入選作品。作者は浜田晶吾 氏。




●1946年 【Kaikan Gin Fizz(會舘ジン・フィズ)】

東京會舘のチーフバーテンダー本多春吉 氏考案。1945年8月15日終戦。その年の12月に連合国軍最高司令官総司令部/GHQ の高級将校クラブとして接収された東京會舘は "American Club of Tokyo" と呼ばれ受託営業が始まりますが、12月は開設準備期間で休館しており、翌年1946年に「株式会社 東京會舘」と商号を変更し再出発。この年に會舘ジンフィズが誕生する。将校クラブとしては1952年まで重用され、その期間に東京會舘で最も飲まれていたカクテルでした。



●1949年 【Shibuya  Town(渋谷タウン)】

渋谷バー門の創業当時からのオリジナルで、初代オーナーの深澤憲二 氏作。




●1949年 【Tennessee Waltz(テネシー・ワルツ)】

昭和24年の雑誌「酒と音楽」でJBAの副会長であった長谷川幸保氏が発表したカクテル。


●1949年 【チューハイ】

1949年5月7日に酒類自由販売解禁に伴い、日本政府が発令した飲食営業緊急措置令が廃止され、ビアホールや酒場が再開。東京都墨田区・葛飾区を中心と する下町の大衆酒場の店主らに より「焼酎ハイボール」が提供され「チューハイ」と呼ばれる。


●1949年 【Hois Highball(ホイス・ハイボール)】

ホイスは1949年の飲食営業緊急措置令廃止後に、後藤商店が芝公園時代に開発した下町カクテル。焼酎3:ホイスの素2:炭酸水5の割合で作る。ホイスの名前の由来は、当時は高級品であったウイスキーをもじりホイスキーからきており、それを略して「ホイス」と命名したもの。




●1950年 【青い珊瑚礁】

1950年5月3日に開催された、JBA主催 第2回All Japan Drinks Concool コクテール部門1位の作品。鹿野彦司 氏作。この年のソフト・ドリンクス部門1位の作品は「ペアー・フラワー」で創作者は池田光明 氏でした。



●1951年 【スイート・オーサカ】

1951年に開催されたJBA主催 第3回All Japan Drinks Concool コクテール部門1位の作品。レシピはバカルディ・ホワイトラム 15ml、グランマニエ 15ml、ドライ・ヴェルモット 15ml、グレナデン・シロップ 5ダッシュ、レモン・ジュース 5ダッシュをシェークしてカクテル・グラスに注いだもの。この年のソフト・ドリンクス部門1位の作品は「ドナウ河のサザナミ」でした。




●1951年 【Koujo No Tsuki( 荒城の月 )】

1951年 5月21日に東京の日本劇場で開催されたJBA.全日本コクテールコンクール 第1位の作品。ジン1/3、デリカワイン白1/3、レモンジュース1tsp、卵白1/2個分をシェークし、カクテル・グラスに注ぎ、鶉の卵黄1個分とグリーン・ミントリキュールを3ダッシュをドロップしたショート・カクテル。


● 1952年 【Ganso Shitamachi Highball(元祖下町ハイボール)】

1952年に天羽飲料製造が焼酎に割るための甘味が無いリキッド「天羽の梅Aハイボール赤ラベル」の発売により下町カクテルの「元祖下町ハイボール」通称「(元祖ハイ)」が誕生し広く下町酒場で飲まれる。推奨の割合は、甲類焼酎2:天羽の梅Aハイボール赤ラベル1:炭酸水3の割合である。現在でははレモンスライスなど入れて楽しまれる。



●1953年 【Satsuki no Kaze(五月の風)】

1953年に銀座「馬車屋(後の鴻之巣)」の長谷川幸保氏が考案した抹茶入りのジンフィズ。


●1953年 【Kiss of Fire (キッス・オブ・ファイヤー)】

1953年6月26日に名古屋の御園座で開催されたJBA主催の第5回 ジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品。作者は東京・銀座のバーテンダー 石岡賢司 氏。ソフト・ドリンク部門1位の作品は「ピンク・フラワー」でした。

カクテル名「キッス・オブ・ファイヤー」の由来は、1952年に米国でヒットしたジャズの王様Loius Armstrongの名曲「Kiss Of  Fire」からとのこと。同年に日本でもカバー曲「火の接吻(Kiss Of Fire)」がヒットしていました。

レシピは、ウォッカ1/3、スロージン1/3、ドライ・ヴェルモット1/3、レモン・ジュース2ダッシュ。

シュガーリム(スノースタイル)したカクテルグラスに注ぐというもの。

考案者の石岡賢司 氏のお孫様の宇山祐二 (ジョニー)氏が経営する東京・学芸大学駅の近くにあるカフェ&バー「tricky's(トリッキーズ)」では、キッス・オブ・ファイヤーがシグネチャーとして提供されています。




●1954年 【フラワー・サントリー】

JBA主催の第6回 ジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品。


●1956年 【Gin Lime(ジン・ライム)】

1956年に銀座でバーテンダーをしていた馬田浩二 氏作。




●1956年 【Sasameyuki(細雪)】

寿屋第1回ホーム・カクテル・コンクールでグランプリに輝いた作品。作者は森川佳典 氏。


●1957年 【オーシャン・スペシャル】

1957年に開催されたJBA主催 All Japan Drinks Concool 男子ショートドリンクス部門1位の作品。この年の男子ロングドリンクス部門1位の作品は「天然の美」。婦人部ロング並びにショートドリンクス部門1位の作品は「ステンガラージン」でした。


●1958年 【Yukiguni(雪国)】

山形県酒田市の喫茶バー・ケルンの井山計一 氏作。1958年寿屋第3回ホーム・カクテル・コンクールのグランプリ作品。井山氏がコンクール受賞時のレシピは、ヘルメスウオツカ(100プルーフ) 30ml、ヘルメスホワイトキュラソー 15ml、トリスライムジュース 7mlをシェークし、上白糖でスノースタイルにしたカクテルグラスに注ぎ、ミント・チェリーを沈める。



●1960年代 【レモン・サワー】

1958年創業の中目黒の「もつ焼き ばん」の創業者である小杉正 氏が考案したもの。1958年は東京タワーが建設されるなど高度経済成長期となり、生のレモンが入手しやすくなったことで、60年代に入りお店のタンチュー(チューハイ)に生のレモンを絞って入れたレモン・サワーを名物ドリンクとして発案。



●1960年代前半 【Siberian Tool Kit(シベリアン・ツール・キット)】

1960年代前半にJimmy Stockwell (ジミー ストックウェル)氏が、横浜・本牧のイタリアン・ガーデン(現在のIG)で考案したカクテル。このカクテルはカナダのエッグノグと呼ばれた「Moose Milk」を簡単なアレンジしたものと思われる。レシピは、ウォッカ、カナディアン・クラブ、カルーア、バニラアイス、クリームで作られる。

ジミー氏は、1960年に軍に入隊し、厚木基地に配属となる。軍人時代は親戚が経営していた本牧のイタリア・ガーデン(現在のIG)でアルバイトをしていました。イタリアン・ガーデンの2代目オーナーであるハリー・コーベット氏(1958年〜1965年)の時代にジミー氏はマネージャーを務めていた経験もあります。1960年代後半に戦争中のベトナムへ赴き、72年に横浜へ戻り、横浜中華街にWindjammerを開店させる。




●1964年 【マイ東京】

1964年に東京五輪を記念してサントリーが主催したカクテルコンクールの特選受賞作品。創作者は上田芳明氏。このサントリーカクテルコンクールは、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州の7ブロックに分けて、それぞれのブロック大会をおこない、翌1965年1月22日に全国決勝が開催されました。ベースは角瓶、オレンジキュラソー、トリスライムジュースを加えシェーク。グラスの縁をシュガーリム(スノースタイル)にしたもの。


●1964年 【Apollo(アポロ)】

横浜・曙のアポロのオリジナル・カクテルで創業当時から提供している。ウォッカ、ウゾ、グレナデンシロップなどで作られるショート・カクテル。創作者はオーナー・バーテンダーの石原清司(チャン)氏。

●1966年 【ブルドッグ】

1966年冬に鎌倉のMike's Barの榊原直哉(通称マイク)氏がウォッカのグレープフルーツ割りに「ブルドッグ」と名付けた。



●1967年 【スカイダイビング】

1967年に開かれたANBA 主催のカクテル・コンペティションの優勝作品。作者は大阪の渡辺義之氏。

.●1970年 【サン・エキスポ】

大阪万博で開催された日本バーテンダー協会(JBA)主催による「EXPO’70 世界コクテールコンクール」のロング・ドリンクス部門グランプリ、です。コンクールの応募は、国内約9000件、海外20数カ国から10000件余りの応募があり本選には30人にが選ばれました。グランプリは神戸「 SAVOY 」の小林省三  氏。ショート・ドリンク部門銀賞は「エキスポ・カーニバル」、ロング・ドリンクス部門銀賞は「エキスポ70」が選ばれました。


●1972年 【ジャック・ター】

1972年に横浜中華街のバー「ウィンドジャマー(Windjammer)」のオーナー、ジミー・ストックウェル氏が考案したカクテル。初期のレシピは材料が4つで、ロンリコ151ラム、サザンコンフォート、コーディアル・ライム、クリーミーヘッド(アルブミナ のようなパウダー)をスピンドルミキサーにかけてクラッシュドアイスを詰めたロックグラスに注ぐ。カットライムをグラスの縁に飾り、シップスティック・ストローを添える。クリーミーヘッドは、ジャック・ター全体のアルコール濃度が高いため乳化しないことから外され、現在のレシピとなっている。



●1972年 【Sapporo(サッポロ)】

札幌「BAR やまざき」の山崎達郎 氏が1972年札幌オリンピック開催に合わせて考案したカクテル。

1981年ジュネーブで行われた国際カクテルコンクールで特別賞を受賞した作品でもあります。



●1973年 【カフェ・ド・トーキョー】

1973年ANBAカクテルコンペティション優勝。第13回ICC国際大会第3位の作品。作者は吉田貢 氏。


●1980年 【ピュア・ラブ】

1980年に開かれたANBA カクテル コンペティションの優勝作品。作者は上田和男 氏。


●1984年 【オータム・リーブス】

1984年に開催されたサントリー・カクテル・コンペティションのグランプリ受賞作品。作者は大庄司雅彦 氏。


1988年 【5517】

銀座三笠本館 BAR 5517のオリジナル・カクテル。1988年に5517のチーフ・バーテンダー稲田春夫 氏作。5517のオリジナルには、「5517 No.1」、「5517 No.2」、「ザ・ギンサ」などがありました。


1880年代後半 【スプモーニ】

スプモーニは、サントリーがカンパリ販促のために創作したカクテルで、当時イタリア発と紹介した。


1988年 【プリンセス・ダイアナ】

1988年に横浜・石川町のSoul Bar Motown のオーナー・バーテンダー芦田 守史 氏が考案したカクテル。