2026/08/01

一般社団法人 全日本フレアバーテンダーズ協会26周年

本日2026年8月1日、一般社団法人 全日本フレアバーテンダーズ協会(anfa)は、多くの皆様の温かいご支援に支えられ、26周年を迎えることができました。

心より深く感謝申し上げます。

私が26歳の頃、フレアバーテンディングの魅力を日本に広めたい!という一心で立ち上げた当会が、四半世紀を超え、日本から多くの世界チャンピオンが誕生し、今も若き才能ある選手が世界へと羽ばたく組織へと成長したことを、大変感慨深く思っております。


●写真は「2008年アルティメット・ワールド・フレア」


人々を笑顔にするフレアの技術は、時代が変わっても色褪せることはないと、繋いでくれたフレア・バーテンダーの皆様が証明してくれています。

次の時代へ向けて、さらなる技術の向上と文化の発展を目指し、共に歩んで行けましたら幸いです。

今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


一般社団法人 全日本フレア・バーテンダーズ協会 名誉相談役

北條智之

2026/07/31

今夜はヘルプさんと2人体制で23時までの営業となります。

 本日は17時から23時までの営業で、1時間早い閉店となります。ご了承下さいませ!

明日8月1日(土)は、臨時休業となります。

また今夜はヘルプの佐野 氏がシフト入りしております^ ^




皆様どうぞよろしくお願いいたします。

良い週末をお過ごしくださいませ

2026/07/27

神紅のミカド・カクテル

今年も島根の高品質な葡萄「神紅」が入荷いたしました!

全体収穫量の僅か8%の出荷しかない神紅ホワイトタグです。厳しい基準をクリアしており、糖度20度以上、紅色着き8割以上、一粒が15g以上で大きさは25mmです。

おすすめカクテルは【神紅のミカド】です。

 ミカドは、ジャパニーズ・カクテルの別名です。

コニャック、オルゲート・シロップ、ライム・ジュース、アンゴスチュラ・ビターズをシェークしたショート・カクテルです。

今回、上記レシピに神紅を加えて作り、神紅を飾り提供しております。





Japanese  Cocktail / ジャパニーズ・カクテルは、1860年に考案されたと言われています。

1860年はアメリカに最初の日本外交使節団を派遣した年です。この年の2月9日、使節団一行は米国政府が用意した軍艦「ポーハタン号」に乗船し、品川を出港。横浜港経由太平洋を横断してホノルルに立ち寄り、同年3月にサンフランシスコに到着します。1か月滞在後は、パナマ地峡を経由してワシントンD.C.へ向かい、そこで数多くの歓迎と祝賀を受けました。その後はボルチモアとフィラデルフィアを経由し、1860年6月16日にニューヨーク市に到着。

ジェリー・トーマス氏が、1862年の著書にレシピを紹介していることから、トーマス氏が 1860年に日本外交使節団を記念してジャパニーズ・カクテルを創作したと考えられています。


別名である「 Mikado  Cocktail」のカクテル名は、1895年の「Bartenders Guide」と「Bartenders’ Association of New York City: Official Hand-Book and Guide」に掲載されていることから、この年からの呼び名と思われます。


2026/07/20

日本のバー誕生の地 横濱の話㉒ 日本のバー文化の黎明期を支えた名バーテンダー「高橋顧次郎」 氏の話し

本日は、日本のバー文化の黎明期を支えた、戦前を代表する伝説的な名バーテンダー高橋顧次郎 氏のお話し。

高橋顧次郎(たかはし こじろう)氏。

日本バーテンダー 協会(JBA)の二代目会長で、横浜グランドホテルで唯一ルイス・エッピンガー氏と働いていたことがある日本人バーテンダーです。

横浜グランドホテルで修行し、バーテンダーとして頭角をあらわす。

横浜グランドホテルの支配人のルイス・エッピンガー氏と一緒に働いていたと言う高橋 氏。

ルイス氏は、1905年に横浜グランドホテルの支配人から退き、その後はマネージング・ディレクターとして務めますが、1907年6月14日、ルイス氏は77歳で他界します。

高橋 氏がいつから横浜グランドホテルに入社したかは、正確に解っていないのですが、1905年より前ではないかと思われます。ここではセカンド・バーテンダーを務めていました。



1912年(大正元年)には、名バーテンダーとなる浜田晶吾 氏が横浜グランドホテルに入社するので、高橋 氏は浜田 氏の大先輩になります。

横浜で有名なカクテル「ミリオンダラー」は、かつてシャンパンを使用したレシピであったようですが、1915年頃に高橋 氏と浜田 氏で、一般的に広めるものにしようとシャンパンを除外した処方にしたと言われています。 

高橋 氏は、1923年9月1日の関東大震災まで、横浜グランドホテルにいたと思われます。

戦前には銀座のレッドテープに移ります。

1929年(昭和4年)5月1日、東京・神田パリスにて日本バーテンダー 協会(JBA)の結成式が行われ、高橋 氏は発起人の1人となります。

JBA発起人15人は、荻野 直寿 氏、高橋 願次郎 氏、大阪 登章 氏、玉田 芳太郎 氏、田村 八十八 氏、浜田 晶吾 氏、浅倉 進次郎 氏、鈴木 豊松 氏、 室井 光江 氏、本多 春吉 氏    斉藤 武雄 氏    高橋 徳兵衛 氏、田村 清吉 氏、薄井 常雄 氏、伊藤 裕章 氏。

JBAの委員長(初代会長)には荻野 直寿 氏、副委員長に高橋 氏が選ばれ、JBA事務局が銀座に設置されました。

後に二代目会長には高橋  氏が選ばれます。

2026/07/13

日田天領西瓜のピンキー・ゴンザレス

 おすすめカクテル【日田天領西瓜のピンキー・ゴンザレス】

日田天領西瓜は、大分県日田自慢のブランド西瓜で、平均糖度が12度以上というコクのある甘味とシャリッとした食感が特徴です。

ピンキー・ゴンザレスは、1964年にVictor Bergeron氏が自身のレストラン「Señor Pico」のために考案したティキ・カクテルです。





今回、日田のブランド西瓜を取り入れたアレンジで提供しています。

テキーラ、日田天領西瓜、グランマニエ、アーモンド・シロップ、ライム・ジュースで作ります。

是非お試しくださいませ!

2026/07/11

第6回 オールジャパン・ドリンクス・コンクール優勝作品「フラワー・サントリー」

本日は、1954年11月18日、キャバレー・アスター・ハウスにて開催されたJBA主催の第6回 オールジャパン・ドリンクス・コンクールのコクテール部門1位の作品【Flower Suntory / フラワー・サントリー】の紹介です。


フラワー・サントリーの創作者は大槻 考行 氏です。 

レシピは、ドライジン1/2、デリカワイン・ホワイト1/4、スイート・ヴェルモット1/4、オレンジ・キュラソー2ダッシュをステアしてカクテル・グラスに注ぐ。レッド・チェリーを飾ります。




サントリーや幾つかのカクテル本では、デリカワイン・ホワイトの部分をドライ・ヴェルモットのレシピで紹介している。



2026/07/09

PATTAYA MIXOLOGIST BARTENDER & FLAIR OPEN 2026結果発表!

 2026年7月6日・7日 アジア・バーテンダーズ協会(ABA)公式ワールド・オープン戦【PATTAYA MIXOLOGIST BARTENDER & FLAIR OPEN 2026】がタイ・パタヤのCentral Marina Outletにて開催されました!

大会へ出場した皆様、審査員の皆様、大会を運営されたABAタイランドの皆様、本当にお疲れ様でした!

各国からトップバーテンダーが集まる素晴らしい舞台となりました。

日本代表としてフレア部門に  宮澤圭介(Kekke)選手が出場致しました。

審査員として日本からは、(社)全日本フレア・バーテンダー ズ協会 江田会長 と私も参加させていただきました。












【ミクソロジー部門 結果】

優勝:Eddie Mar Vilarde 選手(フィリピン)

準優勝:Thanyaphat Pornsuwan  選手(タイ)

第3位:James Jarin  選手(タイ)










【フレア部門 結果】

優勝:Deniss Trifanovs 選手(ラトビア)

準優勝:Michael Moreni 選手(イタリア)

第3位:Jung Gil Kim (Kei)  選手(韓国)

第4位:Kantapon prayote 選手(タイ)

第5位:James Jarin  選手(タイ)

ベスト・フィメール:Min Young Park (Chanel)選手(韓国)









日本代表の宮澤圭介(Kekke)選手は、世界の強豪が出場したフレア部門で 第6位 となりました!

今大会での貴重な経験や学びを、これからのフレア・バーテンダーへ繋ぎ、来年はもっと多くの選手が挑戦してくれることを期待したいですね。本当にお疲れ様でした!








最後に、パタヤの皆様の温かいホスピタリティと、ABAの仲間たちとの絆のおかげで、より一層素晴らしい大会となりました。

また今大会でABAアドバイザーとしてのCERTIFICATE OF APPOINTMENTも頂戴いたしました。ラビット会長、ありがとうございました!







大変お世話になったオーガナイザーのPOMさん、パタヤの皆様、ご一緒させていただいたABAグローバルの皆様、本当にありがとうございました! 


2026/06/27

2026年6月27日のスーパー・ヘルプさん

 【本日のお手伝いさん】

本日はキャリアも8年程あるバーテンダー がシフト入りしています!

彼は7年も前からネマニャで働きたいと言ってくれている人で、本日念願の叶ってスーパー・ヘルプで来てもらってます^ ^



ご存知のお客様も多いのではないでしょうか?

ダブル台風の影響で雨風が強い本日でしたが、もう通過したでしょうか?

今夜は、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。

2026/06/23

戦前の著名なバーテンダー「大阪 登章」氏の話し

戦前の著名なバーテンダー大阪 登章  氏のお話し。

大阪 登章(おおさか たかあき)氏。

1889年生まれ。



1905年 (明治38年)に16歳で東京オリエンタルホテルに入社。

その後、神戸市北野町のトア・ホテル(東亜ホテル)に勤める。

写真下は、トア・ホテル(Tor Hotel)です。



1919年に帝国ホテルのバーテンダーとなる。

またこの年の12月28日、帝国ホテルは1回目の火災がおきます。初代帝国ホテル新館客室の電気回路がショートして、火災が発生し焼失。5ヶ月程で別館が再建されます。

1922年4月16日、帝国ホテルの初代本館は、地下室からの出火による火災で全焼となる。2回目の消失。

帝国ホテルは、被害を免れた一部の施設を利用して営業を再開します。

1922年11月、帝国ホテルのチーフ・バーテンダー であった玉田芳太郎氏が東京會舘に移ることになり、大阪 氏が後のチーフとなる。1926年には本多春吉氏が、帝国ホテルに移り、大阪 氏のセカンドのアシスタント・チーフ・バーテンダーとなる。

1923年7月に帝国ホテル2代目本館・通称ライト館完成。完成を記念した9月1日の落成披露宴の当日に関東大震災が発生。ライト館は倒壊を免れ、その後の火事でも無事で被害は少なかったと言われます。

帝国ホテルのシグネチャー・カクテルとして長く親しまれている「マウント・フジ」は、2代目本館が完成後に考案されたと推測されます。

世界一周旅行のクルーズ船で欧米の一行が来日した際に帝国ホテルで行われた祝賀パーティーのウェルカムカクテルとして考案されたと言われます。

ウェルカム・カクテルは当時、帝国ホテルの常務であった山口 正造 氏がチーフバーテンダーの大阪 氏に依頼して創作されたと考えられています。

山口 正造 氏は、富士屋ホテルの専務取締役でしたが、失火直後の1922年6月から帝国ホテルの支配人として一時的に着任し、1925年まで常務として務められた方です。

大阪 氏は、帝国ホテルを辞めた後は、築地の三州屋、丸ビルの東洋軒、華族会館、戦前日本軍が接収していたマニラ・ホテルでもチーフを歴任する。

1920年代後半には、横浜市中区伊勢佐木町二丁目の横濱バー・パリジヤンに所蔵していたことが解っている。



1929年には、大阪 登章 氏著のカクテル本も出版される。

この本に「マウント・フジ」のレシピ掲載は無いですが、「ミリオンダラー」と「ヨコハマ」が掲載されており、1920年代には日本にはあったことも確認ができる。

また1929年は、日本バーテンダー協会(J.B.A)誕生し、発起人15名の1人として名を連ねます。

戦後1940年代後半には歌舞伎座でバーテンダーをしていたようです。



写真上には5階と書いてありますが、昔から3階にはバーがあるようですが、5階にもあったのだろうか?


2026/06/22

やまがた紅王のフローズン・ピスコ・サワー

やまがた紅王(べにおう)」が入荷しました。

「佐藤錦」「紅秀峰」に続く山形のさくらんぼとして期待されているとのこと。

甘さと酸味のバランスが素晴らしく、とても美味しいです。

おすすめカクテルは【やまがた紅王のフローズン・ピスコ・サワー】です。旬の美味しさを是非お試しください。



レシピはピスコ、やまがた紅王、自家製大島桜リキュール、レモン・ジュース、シュガー・シロップです。

さくらんぼも添えてご提供します。

旬の美味しさを是非お試しください

2026/06/21

東京會舘初代チーフバーテンダー 玉田芳太郎 氏のお話し

本日は日本のホテルバーおよび洋酒文化を黎明期から支えた伝説の名バーテンダーの玉田芳本太郎 氏の紹介です。玉田芳太郎(たまだ よしたろう)氏。

1910年代には帝国ホテルでバーテンダーを務める。

 1919年12月28日、帝国ホテルは1回目の火災がおきます。初代帝国ホテル新館客室の電気回路がショートして、火災が発生し焼失。

5ヶ月程で別館が再建され、1920年に別館バーのチーフに玉田芳太郎 氏が就任。

1922年11月に竣工した東京會舘に移り、東京會舘の初代チーフバーテンダーとなり、アシスタント・チーフ・バーテンダー は、浜田晶吾 氏となった。

帝国ホテルでの玉田 氏のポジションは、大阪登章 氏が引き続きます。

1923年9月1日、関東大震災。

東京會舘本館は、消失や崩壊は免れましたが休館を余儀なくされました。

その後、玉田 氏は精養軒に入社。

1925年(大正14年)7月20日、日本バーテンダー協会(JBA)が結せされる4年ほど前に、全日本バーテンダー ・クラブが結成されます。

発足記念の式典は、クラブの本拠地となる東京・神田の花房にて30人程が集まり行われました。

そのバーテンダー ・クラブの顧問的な役割で長老バーテンダーとして、玉田 氏と東洋軒の田村八十八 氏が名前を連ねます。




カフェー・ライオンの浜田晶吾 氏、郵船バーテンダー の田中明治郎 氏、中央亭の臼井 氏、タイガーの久保金藏 氏、花房の山田秀吉 氏、三州屋の藤生和邦 氏らが出席。このバーテンダー・クラブの機関紙発刊の計画が立ち上がりましたが、山田秀吉 氏の使い込みにより話しが流れてしまう。

1929年(昭和4年)5月1日、東京・神田パリスにて日本バーテンダー 協会(JBA)の結成式が行われ、玉田 氏は発起人の1人となります。

結成式には、発起人の荻野 直寿 氏、高橋 願次郎 氏、大阪 登章 氏、玉田 芳太郎 氏、田村 八十八 氏、浜田 晶吾 氏、浅倉 進次郎 氏、鈴木 豊松 氏、 室井 光江 氏、本多 春吉 氏    斉藤 武雄 氏    高橋 徳兵衛 氏、田村 清吉 氏、薄井 常雄 氏、伊藤 裕章 氏の15名と集まった40名が式に参加致しました。

戦前は、丸の内ステーションホテルに移る。

2026/06/20

日本最高齢のバーテンダーで生涯現役を貫かれた「山崎 達郎」氏のお話し。

本日は、北海道札幌市すすきのに「BARやまざき」を開業し、同市にオーセンティックバーが広まる基礎を築いたバーテンダー山崎 達郎(やまざき たつろう)氏のお話し。

「日本最高齢のバーテンダー」で「北海道バーテンダーの草分け」とも称され伝説の方です。



1920年6月28日。東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)に生まれる。

幼少期は絵を描くことを好まれ、画家を志望していたと言われます。ご両親を亡くされたことを機に1937年頃から染物業をされます。

第二次世界大戦が始まると衛生兵として応召され陸軍病院へ配属。軍医学校での勤務中に終戦を迎えた。

1945年12月、軍隊時代の友人の紹介により、GHQに接収されていた東京會舘に勤務を始めます。

最初は雑役でしたが、開業準備中の煤だらけの宴会場の清掃や食器磨きなどからはじまり、翌年から営業再開となり、大きな宴会があるとバーテンダーが足りなくなったことから、臨時で宴会バーの応援に駆り出されるようになります。雑役から半年経過した頃に酒場のお館(チーフ・バーテンダー)であった本多春吉 氏からの誘いを受けて酒場担当となり、バーテンダーとしてのキャリアが本格的にスタートします。

東京會舘時代のはじめの師は、本多春吉 氏で、後から東京會舘に一時的に戻る本多氏の先輩になる浜田昌吾 氏、帝国ホテルからの浅倉進次郎 氏の2人からも指導していただき、3人を師事されたといいます。直属の先輩に今井清 氏という環境であったようです。修行時代、オープン前のバーの掃除では、浅倉 進次郎 氏からは年中叱られていたととも話しています。

東京會舘から出向となった、連合国軍将校クラブであった綱町三井倶楽部でも働き、来日したヘレン・ケラーを目撃したとのこと。ある日の晩に、アメリカの軍曹と喧嘩したといいます。ウェートレスとして接客したお嬢さんを酔った軍曹が誘惑しそうなので、あまり近寄らないようにと忠告したところ、山崎 氏を突き飛ばして喧嘩騒動になったとか。それが原因で、人員整理のときにクビになってしまったそうです。

その後は、太平洋保全司令部将校クラブを経て、横浜の「グルメ・グリル・エバー・アンドレー」でチーフも務めました。

1953年、東京會舘のチーフバーテンダーだった本多 氏から札幌行きを打診され、1年の予定であった札幌移住でしたが、「舶来居酒屋モンタナ」にチーフバーテンダーとしてしばらく勤務することになります。

1955年11月、全日本バーテンダー協会(ANBA)創立。会長には室井良介 氏、顧問に本多春吉 氏が就任。本多 氏から北海道に支部を作って欲しいと言われ、北海道にバー文化の基盤を築く。

1957年に財界の常連客から独立の話を持ちかけられたものの、その人物に資金をだまし取られる詐欺被害に遭う。しかし、見舞金を寄せたり、資金代わりに山崎氏の絵を購入したり、他の常連客様からの支援に恵まれ、1958年に「BARやまざき」を開店。

山崎 氏が創作されたゆうめなカクテルに「サッポロ」があります。

1972年札幌オリンピック開催に合わせて考案したカクテルで、1981年ジュネーブで行われた国際カクテルコンクールで特別賞を受賞した作品でもあります。

レシピは

ウォッカ20ml

アマレット20ml

シャルトリューズ・ヴェール10ml

ドライ・ヴェルモット10ml

ステアしてカクテルグラスに注ぎ、ミントチェリーをグラスに沈めるというもの。

1975年の火災で一度は店舗を焼失しましたが、翌1976年にはオーセンティックバーとして現在の克美ビルに店を再建されます。

1987年、日本バーテンダー協会北海道地区名誉会長に就任。

1993年には勲六等単光旭日章を受章。

90歳を過ぎても店に立ち続けたが、晩年は体調を考慮して1時間ほど顔を出すに留められていました。

2015年秋頃から体調を崩され、2016年8月からは自宅療養となりましたが、同年11月4日他界となってしまいました。

山崎 達郎 氏は、現役を貫いた生涯でございました。

2026/06/15

今週はクチナシが咲きました!

 今週はネマニャの小庭で育てているクチナシが綺麗に咲きました^ ^

今年も【スコーピオン】をご提供させていただいております。





1930年代後半にカリフォルニア州オークランドにあるTrader Vic'sのVictor Bergeron氏が考案したカクテルです。

ネマニャではラルースのスタイルでご提供します。

レシピはホワイトラム、コニャック、オレンジジュース、レモンジュース、オルジェ シロップ。クチナシの花を添えています。

クチナシの甘い香りとカクテルのサッパリとした口当たりに、初夏の到来を感じる一杯。数量限定です。

是非お試しくださいませ!