2026/09/23

日本のバー誕生の地㉓ 横濱の話 電気ブランの考案者で知られる「神谷傳兵衛 」氏のお話し

1873年に横浜外国人居留地の洋酒醸造所で働き始める

神谷 兵衛 (かみや でんべい)。

1856年、愛知県の西三河に位置する西尾市の神谷兵助 氏の六男として生まれる。

神谷傳兵衛 氏は1873(明治6)年、17歳の時に横浜に出て、フランス人の経営する横浜外国人居留地の洋酒醸造所であるフレッレ商会に雇われ、3年熱心に働いたと言います。

20歳のある時、醸造所での過労が原因で倒れ、そこから病をこじらせた傳兵衛 氏は、医者に見放される程衰弱しました。

そのことを知った雇い主のフランス人は神谷 氏を見舞い、持参した葡萄酒を飲ませます。

毎日飲み続けていると次第に元気になり、病から回復することができたそうです。

「滋養があり、効能のある酒をもっと普及させたい、しかし輸入品は高価でとても庶民には手が届かない。いつかきっと自分の手で誰もが口にできるような酒を作ってみたい!」と、思いが膨らんでいったという。

1875年、傳兵衛は東京麻布の天野という造り酒屋に奉公。

1880年4月、24才の時に独立を決意。

写真下が神谷傳兵衛 氏。



観音様への信仰が根強く、縁日の人手が多い浅草に目をつけていましたが、花川戸町四番地(現在の神谷バーの所在地)にて「みかはや銘酒店」をオープン。店名は故郷の地名にちなんだもの。そこでにごり酒の一杯売りを始めました。これが「神谷バー」の前身となりました。

神谷 氏は、日本で洋酒需要が高くなってきたタイミングで、ワインを一般に普及させようと考えます。


1881年「蜂印香竄葡萄酒 」発売

当時ワインは、まだ日本人に馴染みないものでしたが、樽詰めワインを輸入し、ワインに漢方薬を浸漬し蜂蜜を加えた甘味果実酒を造り、1881(明治14)年に【蜂印香竄葡萄酒 / はちじるしこうざんぶどうしゅ】を販売開始します。





「蜂印」という名称は、かつて神谷 氏が「Beehive / 蜂の巣箱」というフランス産ブランデーを扱ったことにちなみます。

「香竄(こうざん)」は、父である兵助 氏の俳句の雅号であり、親のご恩を忘れないためにと、この言葉のなかに「隠しても隠し切れない、豊かなかぐわしい香り」という意味があることにちなみます。

この「蜂印香竄葡萄酒」は、親友で事業協力者でもある近藤 利兵衛 氏のマーケティング活動により、9年後には全国で人気商品となりました。


1882年 ボトルカクテル「速成ブランデー」発売

1882年(明治15年)に神谷 氏(27歳)は、輸入した酒類を原料にブレンドしたボトルカクテル「速成ブランデー」を造る。当時流行していたコレラの予防に効果があると噂になり、人気となったと言われています。これが電気ブランの原形となります。

1883年には泡盛の販売を始める。

1898年、葡萄の苗を茨城県岡田村に移植する。

同年、東京日本橋区銀河岸に神谷汽船合資会社を設置し運輸業をはじめる。

1912年4月10日(神谷 氏56歳)に、みかはや銘酒店の店舗内部を西洋風に大改造し、西洋風バー「神谷バー」へと改称。




1893年「電氣ブランデー」発売

電気の供給会社「東京電灯会社」が設立された明治16年から神谷 氏が速成ブランデーのレシピを少しづつ改良し、1893年に神谷酒造第二工場を東京本所区中ノ郷瓦町に設置し「電気ブランデー(後の電気ブラン)」を発売させる。

レシピは、グレープ・スピリッツ(薬用として売られていた輸入ブランデー)、ワイン、ジン、ヴェルモット、キュラソーをブレンドしたボトル・カクテル。当時アルコールは45度であった。


ネーミングの由来は、文明開化の風潮の中で「氣」という言葉にはハイカラなイメージがあり、当時は目新しいものは「電氣〇〇」と呼ぶことが流行していました。

電氣ブランデーは「飲み口の良い、強いお酒なので身体の芯まで心地良くピリリとしびれるように酔いが回る」との評判となる。

1899年、日本酒精製造株式会社を設立する。同年に北海道旭川に酒造工場を設ける。

1903年9月、牛久醸造場・牛久シャトー竣工。

11月1日に神谷酒造合資会社設立。

1922年4月24日に神谷 傳兵衛 氏は66歳逝去。


1957年に「デンキブラン」に名称変更

1957(昭和32)年に電氣ブランデーは、親しみを込めて「デンキブラン」へ改名。

同時にアルコール度数も45%から30%に変更される。


1983年に「電気ブラン・オールド」発売

1983年、電氣ブランデー発売当時のラベルデザインを踏襲し、アルコール分は45%ではなく40%にした復刻版の「電気ブラン・オールド」が発売。明治時代より受け継がれる秘伝のブレンドで造られているそうです。