日本バーテンダー協会(JBA)主催初のカクテル・コンペティションは何年に開催され、優勝カクテルはどのようなカクテルであったのかを、調べてみました。
日本バーテンダー協会(J.B.A.)は、1929年(昭和4年)5月1日に東京・神田パリスで発起人の荻野 直寿 氏、高橋 願次郎 氏、大阪 登章 氏、浜田 晶吾 氏、浅倉 進次郎 氏、鈴木 豊松 氏、 室井 光江 氏、本多 春吉 氏 斉藤 武雄 氏 高橋 徳兵衛 氏、玉田 芳太郎 氏、田村 八十八 氏、田村 清吉 氏、薄井 常雄 氏、伊藤 裕章 氏の15名と集まった40名で結成式が開催されました。
1931年から戦争がはじまり、満州事変から太平洋戦争(大東亜戦争)までの「十五年戦争」 で、自然消滅していた協会でしたが、1948年7月27日に再結成式が開催され、活動が再開します。
日本バーテンダー協会(JBA)主催の最初となるカクテル・コンペティションは、日本初となるノンアルコール・カクテル大会でした。
1949年5月7日、戦後の酒類自由販売解禁の4日前となる 5月3日、東京・丸の内の日本工業倶楽部にて「全日本ソフトドリンク・コンクール」決勝が開催されます。
決勝審査員は料飲新聞関係から2名、料飲業者界からは壽屋やウィルキンソンタンサン社、コーヒー店より4名、有名人では東映監督や俳優の三船敏郎 氏、森 雅之 氏、アナウンサー、文士、漫談家から8名の合計14名で審査され、壹等1名、貮等1名、参等1名、佳作5名の入賞8作品が選出されました。
翌年の1950年の第2回は「オールジャパン・ドリンクス・コンクール」となり有名なカクテル「青い珊瑚礁」が誕生する。
全日本ソフトドリンク・コンクールの応募は2503作品にのぼり、1949年4月28日に第1予選会、5月1日に第2審査会が開催され決勝には8作品が選ばれました。
壹等(優勝)は、東京の杉田 幸一 選手が創作した【スノー・フジヤマ】でした。
●「スノー・フジヤマ」のレシピ
パイナップル・ジュース 90ml
フレッシュ・レモンジュース 1/3個分(15ml程)
砂糖 デザートスプーン 1杯(約3g)
上記をシェークして、氷を入れたソーダ・グラス(クリームソーダに使われる足付きグラス)に注ぎ、ホイップクリームを浮かべ、レッドチェリーを飾る。ストロー2本とロングスプーンを添える。
貮等は、須藤 勝 選手(東京) 作品名「サマー・デライト」
参等は、落合 謙二 選手(東京)作品名「ピース・バター」
佳作の5作品は「エバー・グリン」「オリエンタル・レモネード」「ストロベリー・シェーク」「シヤンクール」「バイオレット・スマイル」でした。


