2026/06/23

戦前の著名なバーテンダー「大阪 登章」氏の話し

戦前の著名なバーテンダー大阪 登章  氏のお話し。

大阪 登章(おおさか たかあき)氏。

1889年生まれ。



1905年 (明治38年)に16歳で東京オリエンタルホテルに入社。

その後、神戸市北野町のトア・ホテル(東亜ホテル)に勤める。

写真下は、トア・ホテル(Tor Hotel)です。



1919年に帝国ホテルのバーテンダーとなる。

またこの年の12月28日、帝国ホテルは1回目の火災がおきます。初代帝国ホテル新館客室の電気回路がショートして、火災が発生し焼失。5ヶ月程で別館が再建されます。

1922年4月16日、帝国ホテルの初代本館は、地下室からの出火による火災で全焼となる。2回目の消失。

帝国ホテルは、被害を免れた一部の施設を利用して営業を再開します。

1922年11月、帝国ホテルのチーフ・バーテンダー であった玉田芳太郎氏が東京會舘に移ることになり、大阪 氏が後のチーフとなる。1926年には本多春吉氏が、帝国ホテルに移り、大阪 氏のセカンドのアシスタント・チーフ・バーテンダーとなる。

1923年7月に帝国ホテル2代目本館・通称ライト館完成。完成を記念した9月1日の落成披露宴の当日に関東大震災が発生。ライト館は倒壊を免れ、その後の火事でも無事で被害は少なかったと言われます。

帝国ホテルのシグネチャー・カクテルとして長く親しまれている「マウント・フジ」は、2代目本館が完成後に考案されたと推測されます。

世界一周旅行のクルーズ船で欧米の一行が来日した際に帝国ホテルで行われた祝賀パーティーのウェルカムカクテルとして考案されたと言われます。

ウェルカム・カクテルは当時、帝国ホテルの常務であった山口 正造 氏がチーフバーテンダーの大阪 氏に依頼して創作されたと考えられています。

山口 正造 氏は、富士屋ホテルの専務取締役でしたが、失火直後の1922年6月から帝国ホテルの支配人として一時的に着任し、1925年まで常務として務められた方です。

大阪 氏は、帝国ホテルを辞めた後は、築地の三州屋、丸ビルの東洋軒、華族会館、戦前日本軍が接収していたマニラ・ホテルでもチーフを歴任する。

1920年代後半には、横浜市中区伊勢佐木町二丁目の横濱バー・パリジヤンに所蔵していたことが解っている。



1929年には、大阪 登章 氏著のカクテル本も出版される。

この本に「マウント・フジ」のレシピ掲載は無いですが、「ミリオンダラー」と「ヨコハマ」が掲載されており、1920年代には日本にはあったことも確認ができる。

また1929年は、日本バーテンダー協会(J.B.A)誕生し、発起人15名の1人として名を連ねます。

戦後1940年代後半には歌舞伎座でバーテンダーをしていたようです。



写真上には5階と書いてありますが、昔から3階にはバーがあるようですが、5階にもあったのだろうか?