本日は日本のホテルバーおよび洋酒文化を黎明期から支えた伝説の名バーテンダーの玉田芳本太郎 氏の紹介です。玉田芳太郎(たまだ よしたろう)氏。
1910年代には帝国ホテルでバーテンダーを務める。
1919年12月28日、帝国ホテルは1回目の火災がおきます。初代帝国ホテル新館客室の電気回路がショートして、火災が発生し焼失。
5ヶ月程で別館が再建され、1920年に別館バーのチーフに玉田芳太郎 氏が就任。
1922年11月に竣工した東京會舘に移り、東京會舘の初代チーフバーテンダーとなり、アシスタント・チーフ・バーテンダー は、浜田晶吾 氏となった。
帝国ホテルでの玉田 氏のポジションは、大阪登章 氏が引き続きます。
1923年9月1日、関東大震災。
東京會舘本館は、消失や崩壊は免れましたが休館を余儀なくされました。
その後、玉田 氏は精養軒に入社。
1925年(大正14年)7月20日、日本バーテンダー協会(JBA)が結せされる4年ほど前に、全日本バーテンダー ・クラブが結成されます。
発足記念の式典は、クラブの本拠地となる東京・神田の花房にて30人程が集まり行われました。
そのバーテンダー ・クラブの顧問的な役割で長老バーテンダーとして、玉田 氏と東洋軒の田村八十八 氏が名前を連ねます。
カフェー・ライオンの浜田晶吾 氏、郵船バーテンダー の田中明治郎 氏、中央亭の臼井 氏、タイガーの久保金藏 氏、花房の山田秀吉 氏、三州屋の藤生和邦 氏らが出席。このバーテンダー・クラブの機関紙発刊の計画が立ち上がりましたが、山田秀吉 氏の使い込みにより話しが流れてしまう。
1929年(昭和4年)5月1日、東京・神田パリスにて日本バーテンダー 協会(JBA)の結成式が行われ、玉田 氏は発起人の1人となります。
結成式には、発起人の荻野 直寿 氏、高橋 願次郎 氏、大阪 登章 氏、玉田 芳太郎 氏、田村 八十八 氏、浜田 晶吾 氏、浅倉 進次郎 氏、鈴木 豊松 氏、 室井 光江 氏、本多 春吉 氏 斉藤 武雄 氏 高橋 徳兵衛 氏、田村 清吉 氏、薄井 常雄 氏、伊藤 裕章 氏の15名と集まった40名が式に参加致しました。
戦前は、丸の内ステーションホテルに移る。
